お釈迦様のBLUE HEARTS
本日は松尾寺(西国観音霊場29番札所)にて観音講という大祭が行われた。毎年10月の最後の友引が観音講に充てられることが多い。
天候はあいにく小雨。
行事の中心は境内で焚かれる柴燈護摩である。
私は四方、中央、鬼門に弓を放って結界を張る宝弓師という役である。
大役はなんとか果たせたが、南に放った矢が境内の大木に引っかかってちょっとカッコ悪かった…
後半から雨足が少し強くなったがなんとか無事に行事を終えることができた。やれやれ…
80年代のアイドルの歌に仏教的歌詞を探そうと思ったのだが案外見つからない。
当り前か…
ちょっと気にいったのが最近のテレビCMで聴いたTHE BLUE HEARTSの「情熱の薔薇」。
90年に発売された曲だが名曲といっていいだろう。
永遠なのか本当か 時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか
見てきた物や聞いた事 いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう
答えはきっと奥の方 心のずっと奥のほう
涙はそこからやって来る 心のずっと奥の方
ヒンドゥー教の本―インド神話が語る宇宙的覚醒への道 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 12号)
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この本を読むとお釈迦様が世に立たれた時代の背景についていろんなことが分かる。
お釈迦様は同時代のバラモン達を批判したが、それはバラモンを否定したというより、ほんらいの神との関係を深く考察されたのではないかと思われる。
キリスト様がパリサイ人を批判して本来の神=ユダヤ教の神への回帰を目指されたことと似ているように思う。
言いかえるとお釈迦様は真のバラモン=神を祀る者とはどうあるべきかということを説かれたのだと思う。
当時、新興の教団が数多く勃興し、お釈迦様自身、そうした新しい旗手の一人であられた。
そうした教団の間では激しい論争が繰り広げられたようである。
お釈迦様はそうした論争に加わらず、仮に議論を望まれても敢えて相手の問いに答えないという態度を以て応えられたように思われる。
そのことはお釈迦様が霊魂の存在について言及されなかったことのひとつの背景であるように思われる(但し、お釈迦様の言行をかなり正確に留めていると考えられる原始仏典にはお釈迦様が霊魂や輪廻などに言及されている部分がしばしば認められる)
いつの時代、どの地域であっても人々は何らかの価値観の中に縛られて生きている。それを越えることに始まって、やがて自分自身の心を正しく、深く見つめた時に全く新しい世界が開けてくるのではないか…お釈迦様の教説にそんな解釈をして愉しんでいる。
この世で正しいとされていること。それらは本当に正しいのだろうか。
あなたは自分の心の奥を見つめたことがありますか?
あなたの心の奥に素晴らしい何かがあるのではないだろうか。それはきっと…
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