キッチンの中の歴史学

【山寺の本棚】

11月の忙しさもようやくひと段落。


このお寺は周囲を山に囲まれているので、あまり日当たりがよくない。

9時ごろ日差しがキッチンの窓からに入ってくる。その暖かさと明るさが何とはなしに嬉しい。
窓から射す陽光を観ていると、光の中に無数の小さな塵がゆっくり舞っているのが見える。
塵も光っていた。

或る音楽家がエッセイに面白いことを書いていた。
仏の光に照らされる煩悩というのは光の中で舞う塵のようなものではないか…
確かそんな内容だった。陽光の中で光りながらゆっくりと漂っている塵は美しく感じられた。



朝、キッチンで1時間ほど読書をした。
久しぶりにゆっくり本を読んで心がのびのびした。


1冊は地元の歴史学サークルの加藤氏が寄贈して下さった冊子。

「野田笛浦の詩」加藤晃(沃土社)

NHK龍馬伝も先日終わったようだが、幕末の歴史の面白さというのは江戸時代の面白さの一部ではないかという気がする。
江戸時代というのは幕府の中央だけでなく、地方の武士、農民、僧侶、などに極めて知的で優秀な人材が溢れていたのではないかという気がするのである。

野田笛浦は舞鶴に生まれた儒者漢詩人、文人である。

十三歳で江戸に出て古里精里に入門し、後に昌平坂学問所で学ぶ。
28歳の時に清国商船『得泰号』が清水港に漂着し、幕命により長崎まで護送。
その折の清国学者との筆記問答を出版し、高い語学力と学識、高雅な詩を称えられ、清国学者と互角に渡り合ったとして高く評価された。
舞鶴に帰国後は藩政に携わり、海防、教育などの分野に多くの功績を残した。
笛浦というのは郷土が生んだ俊材として永く語り継がれるべきだと思う。
冊子は笛浦の漢氏詩を翻訳したもので、味わい深い詩が多い。


大和三山の古代 (講談社現代新書)

大和三山の古代 (講談社現代新書)

上野氏の論考は上野万葉学というべき独特の風貌がある。

本書のひとつのテーマは奈良中部、橿原市にある大和三山である。

三山は標高200メートルに満たない小山だが、神仙思想や道教に基づいて都の守りを為していたという。非常に興味深いテーマであるだけでなく、分かりやすい言葉を選らんで楽しく語りながら、問題の所在を次々に明らかにしていく展開にぐいぐい引き込まれていった。

漢字、儒教律令、仏教などを軸に語られることが多かった古代に道教や神仙思想、陰陽五行などの視点を入れることは既に以前から行われているが、興味本位にならず、なおかつガチガチのアカデミズムに終始しないというのはなかなか難しい。


アカデミズムの悪い例というのはどうでもいいような細かいことをことさら分かりにくく取り上げることにあるが、上野氏の文章はその対極にあるかもしれない。

文章全体の俯瞰的でのびやかな印象、残された僅かな手掛かりを丹念に読みほどいていく姿勢、ウイットと批判精神、研究者の生々しい日常…

高校を卒業して30年近くになろうとしているがその間の考古学、歴史学の成果には目覚ましいものがある。
私達が常識として習ったことが覆され、次々と新しい発見が積み重ねられている。

歴史は面白い。

万葉学だけで年間300本もの論文が書かれるそうである。
ただ我々一般人の歴史へ興味を満たし、なお且つ学術的であることはなかなか難しいが上野氏の一連の作品はまさにその役割を果たしてくれる気がするのである。
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