現代人は江戸時代より体臭が臭い?

以前、ネットで読んだ記事に「現代人は江戸時代より体臭が臭い」という内容のものがあった。
現代人が過度の清潔志向に陥って、体表の常住細菌までを無くしてしまい、こうした細菌が駆除してくれるはずの悪玉細菌が悪臭をもたらしつつある…といった内容だった。

現代人が江戸時代より体臭が臭いとはちょっと考えられないが、でも一理あるのではないかという気がした。

このあたりは「もやしもん」でも取り上げられていて興味深い。

もやしもん(1) (イブニングKC)

もやしもん(1) (イブニングKC)

<不潔>というのは現代では無条件に嫌われる。

だが一方で<過清潔> 或いは<過衛生>といった意識にも多いに問題があるのではないだろうか。

現代の日本人には臭いや細菌そのものへの拒絶感を感じる。

臭いや細菌を徹底して嫌う「ファブリーズ」などのCMを見ていると私はある種の不快感や恐怖感を感じてしまう。


亡くなった母方の祖父はとても私を可愛がってくれた。
祖父に大切にされたという思い出は私の人生観を根底で支えてくれている気がする。

祖父に両手をつかんでもらい、祖父の身体に足をかけて登るという遊びをよくやった。
その時感じた祖父のポマードの香りと体臭の混じった臭いを懐かしく思い出すことがある。

最近は加齢臭などと言われて、高齢者の体臭は一方的に嫌われる傾向がある。

過度の清潔感や衛生への志向というのはどうも他者への拒絶とつながっているのではないかと感じることがある。

学校でのイジメの多発が大きな問題になっているが、イジメの対象に対して「臭い」「バイキン」「ウツる」などといった言葉が投げかけられることがある。



現代の日本人は自然から離れることで得られた利便性や経済性に酔っているのではないだろうか。それが人間の心に何かゆがみをもたらしているのではないだろうか。


私は生ゴミを堆肥するのが好きでコンポスト容器をいくつも使っているが、腐乱し、悪臭を放つ物体が最後は良い香りのする黒い土に帰っていく姿に何か自然の摂理のようなものを感じる、時には輪廻といったことすら想像してしまう。

そして自然を拒絶し、他者を拒絶する日本人の姿が時々無性に寂しく感じられることがある。

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