「餓狼伝25」をようやく…

今朝はバケツの水に厚い氷が張っていた。

相変わらず薪で焚いたお風呂で暖をとっているが、換気扇の部分からかなり冷たい外気が入ってきて閉口することがある。



兼務している多禰寺は標高が高く20センチ余りの積雪。
家族や地元の方が氷結した路面でスリップして次々と脱輪。
危ないなあ…

餓狼伝(25) (イブニングKC)

餓狼伝(25) (イブニングKC)

何カ月も発売が延期されていた「餓狼伝25巻」をようやく購入。少し待ちくたびれた気がする。

新しいキャラクター村瀬豪三が北辰館の堤城平を痛撃。

村瀬豪三は松尾象山の北辰道場に単身道場破りを敢行する破格の強者。
純粋に強さを求める魅力的な男である。

柔道、空手、ボクシング、柔術、キックボクシング、古武道…
数多の道場に在籍し、トップレベルの実力を持ちながら一切の試合には不参加。
それらの格闘技を統合して、ノールール、反則無しの純粋な強さを追求する漢である。

その村瀬にやられながらも堤城平はあくまで“らしさ”を失わない。
素晴らしい展開である。

しかし…
餓狼伝」は本巻をもって休載とのお知らせ。

あんまりです…(涙)

村瀬の台詞に面白い言葉があった。

「全科目に100点をとる必要はない。
100点満点と闘うなら20点ずつを六科目。合計120点。
物理的に勝ちは転がり込む」

第三の脳――皮膚から考える命、こころ、世界

第三の脳――皮膚から考える命、こころ、世界

この台詞が先日から少し考えていることに引っかかった。

人間の意識は大脳に在るのではなく、皮膚の意識的作用、内蔵感覚、脊椎、大脳のバランスや統合の上に成立しているのではないかという問題である。


もう一点ひっかかっているのは、大脳中心の意識が休止することで、もっと別の意識作用や身体意識が生まれるのではないかという点。

大脳=「最強の北辰空手」がノールールの村瀬に痛撃されるというのは、人間の意識作用が大脳という「最強の中枢」を持つことで本来の意識の在り方からバランスを崩していることに似ているのではないかと思われる。

特定の武術が最高という立場を捨て、複数の格闘技を自由に組み合わせることで一点集中型の武術を上回る…実際には難しいと思うが(笑)

大脳=局所への集中から解放されることでより反射性の高い高度な運動性が生まれるのではないか。

或いは“魂”や“仏性”を考察するならそれらも生理的、物質的身体との相互作用を持つのではないだろうか。

なかなか妄想は尽きそうにない…

最近は外仕事が無くなっていよいよ身体が訛ってきたので、久しぶりに立禅を始めた。

ただ立つということの難しさと楽しさは奥が深い。
これも今考えている問題につながりそうなのだが、まだよくわからない…

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