パワースポットの裏側×「トイレの神様」その1 

明日は雪の気配。
弁天堂に引っかかった銀杏の木の処理をしようと思ってチェンソーを取り出したら歯が無い…
いつの間にか老僧が取り外してどこかへ持っていったらしい。ブツブツいいながら鋸一丁持って出かけた。

細い枝を切り離した後、太い部分を切断していると、いきなりバキッと折れて下敷きになってしまった。
地面に雪が積もっていたので無傷で済んだのは幸いだった。危ない危ない…



最近は新聞やNHKでも普通に「パワースポット」という言葉を見かける。

戦後の経済成長の中で宗教的、精神的なものを捨てた日本人がもう一度それらにむかいつつあるひとつの兆しかもしれない…と思って、その現象を興味深く見ている。


よくテレビのインタビューなどでパワースポットを訪れた方のインタビューとして

「その場所に踏み入れただけで、身体がジーンとして、なんだか涙がでてきました…」

みたいな感想があったりする。

「そんな場所って本当にあるんでしょうか?」と友人から質問を受けた。
この方はあまりその手の話を信用しない良識派?である。

特定の場所が磁気や重力などの物理的に特異な場所というのは地球上に沢山あるはずである、世にパワースポットと言われているものの一部は間違いなくこれらに該当すると思う。

そしてもうひとつの要素として、その場を訪れる人々の意識がその場所に影響を及ぼしているということである。

私自身の経験だと弓道場とか書道教室のように、そこに携わる人々が端正さや、集中を要求される場所ではそういった“気配”或いは“気”に包まれているのを感じることがある。
神社仏閣のように永年にわたって祈りが捧げられてきた場所はやはりそういった空気で満たされる。

コンサート会場に熱狂的なファンが大勢詰めかけているような状態を考えると分かりやすいだろう。多分、その会場に一歩、足を踏み入れただけでワクワクするような感じを受けるにちがいない。それはそこに集う人々の“気”であって、その場所の持つ力ではない。

パワースポットと言われているものの一部は間違いなくそこに集う人間の意識と切り離しては考えられない。パワースポットの力というのはその土地の持つ力とそこに集まる人間の意識との総和なのだろう。


本来、清浄な空間だった場所がマスコミに紹介され、大勢の人が雑然と押し掛けることで、そのパワーが失われたり、純粋さが失われたすることも多いにあるに違いない。

昨年、ある大きな神社に出かけたが、大切にされているらしい御神木にあまりにも不躾に、無遠慮に触れている人を見て少し気持ちが暗くなった。

人々が敬い、大切にしてきたものであるということが理解できないなら、そういった場所にいかないほうがいいのではないかと思うことがある。


御利益やパワーを頂けると喧伝されているものの中にはどうもあまり良くない雰囲気の場所が含まれているのを感じることがある。欲に引っ張られて行動していると、そういったものと縁ができそうな気もして、パワースポットのブームというのもやはり功罪半ばするものを感じる

(明日に続く…)

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