パワースポットの裏側×「トイレの神様」その2

本日は暦の上での「小寒」。

時々、雪が降ったかと思うと少し晴れ曇になり、また雪が降る…
あまり積もらないと良いのだが。




降っていたかと思うと

ちょっと小ぶりになり

少しだけ晴れてから、また降ったり…




雑用がたまっているのだが逃避して寺院用カタログを暫く読む…

福生」というメーカーのカタログは福助足袋の系列らしいが、やたらと足袋が載っている。

高級綿キャラコたび、特製白キャラコたび、高級キャラコたび、ラクラクたび、マジックテープたび、外反母趾のびる綿たび、ノーアイロンたび、強化形態安定たび、先丸マジックテープたび、高級雲斎たび、たびカバー、カバーたび…

…って、よくぞこれだけというラインナップである。中には

「高級綿キャラコたび」「特製白キャラコたび」

のように違いが分からないものも多い。

「たびカバー」「カバーたび」

に至っては違いが全く分からない…




閑話休題。昨日の続きを少々…


パワースポットが流行っている。
だが、ここにひとつの落とし穴があるように思う。

それは自分の持っている方向性や資質を冷静に見つめたり、現実から逃げずに直視するといったことをせずに、ただパワースポットの力に頼りたいというのは人生のどこかにひずみを生じるのではないかということである。

自分の人生にプラスを重ねることはもちろん必要だが、自分の中のマイナスに気がついて、これをきちんと手を打たないといけないということである。


言いかえると自分の中にあるこだわりを手放したり、整理したりするということである。



植村花菜さんの「トイレの神様」が流行っているが、仏教ではウスシマ明王という仏様をトイレの神様と考えることが多い。



トイレの神様というのは浄化する働きであったり、不浄の中に浄を観るということなのだろう。
なかなか示唆深い話である。

トイレの神様」という歌を聴くと、自分をしっかり見つめた時に大切なものは何かということを再発見することを歌っている気がする。私達は時々何が大切で、何が大切でないのかということを忘れがちである。

現代のひとつのキーワワードは「浄化」ではないかと感じることがある。
トイレの神様」という歌は正に心の浄化を歌っているのではないだろうか。



最近、家の掃除やトイレの掃除で開運や健康を得られたという趣旨の話を聞く。

自分自身の中にあるものに気付いて、手放したり、心を整理することが必要だと述べたが、その手っとり早い方法は掃除ではないかという気がする。

掃除というのはあくまで人間と物の関係なのだが、掃除を終えると不思議なくらい心もすっきりしていることに気がつく。



開運したい、幸せになりたいと思うなら、パワースポットと呼ばれる場所にあちこちでかけるより、まず自分の家の掃除をするというはとてもよいことなのではないだろうか。

自分を見つめ、自分を変えるというプロセスを欠いた幸福の追求は危険ですらある。

もっとも自分の欠点や自分をとりまく現実にはなかなか気がつきにくい。
そして自分を変えることは痛みもともなう。
だが、見方を変えると、自分を変えるというのは人生で最高に楽しいことなのではないかいう気もする。

自分の中のマイナスの部分に気付き、それを超えて幸せになる…それはとてもワクワクする体験である。
ブログランキ

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