無縁社会は真実か

子供の頃は居間にちゃぶ台があって、そこで夕餉を食べた記憶があるが、田舎でもいつの間にか椅子に座るという生活が主流になりつつある。

最近、法事に行った先で「法事くらいでしか正座しませんね」と何回か言われて、田舎であっても正座するという機会が激減していることに気がついた。
かく言う私も、1歳6カ月の娘があまりに頻繁に食卓に登って食事ができないという事態に至って、とうとうキッチンにテーブルと椅子をいれた。

先日も、法事で読経を終えて振りかえると、施主がうつむいているので、しんみりしているのかな?と思ったら

「…足が…痺れました…」

「そっちかいっ!」とツッコミそうになった…

そんなことが度々あるので法事では気楽に足を崩してもらうように最初に言うようにしている。

無縁社会

無縁社会


NHKの「無縁社会」の特集は反響が大きかったようだが、取材に協力した方から過剰に暗い演出がされているという抗議があったとの由。
京都新聞でも「ひとりじゃないもん」なる特集が続いているし、朝日新聞でも「孤族」なる特集が連載されたそうだ。流行の論調なのだろう。

ドキュメンタリーや新聞の連載記事といっても所詮はひとつの見方を提示し、演出するしかない。
NHK特有の重厚さに騙されて本気で「無縁社会」を信じたらいけないのである。

ひたすら個人の自由が素晴らしいと説き、国家や企業を批判し、上下関係も職場のつながりも地域のつながりも、夫婦も親子もみんなバラバラにしていったことのツケが回ってきたのは事実かもしれない。但し朝日新聞はもとより京都新聞もNHKもその先鋒だったことは努々忘れてはならない。

人はひとりで死ぬ 「無縁社会」を生きるために (NHK出版新書)

人はひとりで死ぬ 「無縁社会」を生きるために (NHK出版新書)

京都新聞の書評を読んでいたら島田裕巳氏の新刊が紹介されていた。

書評を読む限りではなんと無縁社会肯定論のようである。
島田氏は葬式はいらないとか戒名はいらないと主張して物議と失笑を醸した方だが、その背後には相当根深い孤独な人生観があるようだ。

これからの10年で社会は激変するだろう。
人々はどんな縁を結び、どんな縁を切るのか。



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[決定版]生きがいの創造

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