祈り 〜誰にでも出来る最強の人助け〜

【お詫び】

昨日、関係者の方から節電を呼び掛ける告知の記載を依頼されましたが、記述内容に一部事実誤認がったことが判明しました。
記事を削除のうえ、お詫びいたします。 

※下記のコメントも参照してくだされば幸いです。

合掌

                   








若い頃は“祈る”ということを全く認めていなかった。

祈るというのはとても消極的で、意気地の無い、非科学的な、偽善的な態度だと思っていた。

だが今はそれが間違いだったと思っている。


今は、祈るということの大切さが少しだけ分かった気がして、いろんな場面で祈るということを行っている。

祈るという表現は仏教というよりキリスト教のイメージが強い。

仏教でいうなら“拝む”ということになるが“拝む”というのは仏あるいは仏的存在との関係について使われることが多い。

誰かの為に拝むという表現は少し違和感がある。
もちろん“回向”という考え方があって、これなど正に誰かの為に“拝む”ことに他ならないのだが、一般の方にはあまりピンとこないだろう。

ここでの“祈る”とは特定の宗教を超えて行うことである。

亡くなった方の魂の為に祈る
被災されて肉体と心の苦しみの中にいる方の為に祈る


心を込めて祈ることは偉大な力を持っている。

自分の力は小さいというのはとても大きな誤解である。

物質としての人間の力は小さいかもしれないが、心の世界、魂の世界において一人の持っている力は偉大である。

1個のお饅頭を大勢で分ければ分けるほど1人当たりの食べる量は少なくなる。
それは物質の世界の話である。
祈りのエネルギーというのは全く逆なのである。

より大勢の為に祈れば祈るほど、大きな力が得られるのである。
その祈りが小さな自分を離れれば離れるほど大きな世界につながり、巨大なエネルギーにアクセスできるのである。

もちろん自分の宗旨宗派のある方はその形に従えばよい、
そのうえで苦難の中にある人々の上に加護のあらんことを祈って頂きたい。


歴史的事件は常に深い象徴的な意味を持っている。
天からのメッセージといえるかもしれない。

今回の災害は天災であると同時に日本国民に向けての非常に重大な警告であると感じている。そのことについてはまたいずれ書いてみたいと思う。

ただ今は正に苦難の中にある方々の為に祈りたい。
皆様も是非、皆様の立場の中で祈るということを為して頂ければと思う。

                               合掌