祈ることは最強のボランティア  「青葉城恋歌」

本日は当地では珍しい雲の殆どない晴天の日だった。

午前中に法事が一件。
車で国道を走っていると眼に映る風景が違って見える。


お年寄りが孫の手を引いて散歩するのも
中学生がコンビニで買い物するのも
若い男女がドライブするのも
農家の方が畑仕事をするのも


日常が平穏で無事であるということがどれだけ大切なことか…そんなことが頭から離れなかった。

毎日いろんなことがあり、時に不平や不満を感じることがある。
だが毎日の平穏な日々が維持されるのには巨大なエネルギーが費やされているのだと気がついた。その力の巨大さに改めて感謝せずにはいられない。


法事の後、お膳が並べられ会食した。
90近い施主はまだ現役で農業をされるとても元気な方である。
食事の前に施主が挨拶することになっているが、今回の地震のことに触れて少し声を詰まらせた。この方の優しい気持ちが伝わってきて、私も胸が熱くなった。



地元の仏教会でも数日後に被災者の為の托鉢と義捐金の募金を始めることになった。

現地ではまだ余震が続き、ボランティアの活動もできない状態だが、こんな時だからこそ多くの方に祈って頂きたいと思う。

このような悲惨な状況の中で暴動や略奪が起きず、人々は粛々と行動されている。
その一事を以ってしてもいかに日本人が素晴らしい国民か理解できる。
そのことを心から誇りに思う。



テレビを点けて、もし悲しんでいる方、茫然自失とされている方、打ちひしがれている方、或いはそうした方々の為に奮闘努力されている方々を眼にしたらそれらの方々の為に祈って頂きたい。





この方が救われますように

一日も早く平穏な日常が取り戻せますように


この試練を無事乗り越え、また再びと人生を力強く歩まれますように


心と身体に受けた痛みや苦しみが癒されますように


この方の活動が護られ大きな成果を得ますように




祈りというのは魔法ではない。
一瞬で相手が変わることは無い。
だが祈りというのは相手の人生に必ず大きな力を与えてくれると私は確信している。


力んで祈る必要はない。
むしろ力を抜いて、リラックスした状態で祈るのが良い。
真剣なリラックスである。
これは他力のひとつのポイントである。



力を入れるというのは一見とても良いことのようだが、実は自分の力を過信していることが往々にある。力んでいると長くは続けられない。そして自分という狭い存在を超えた力にはつながれないことがあるからだ。

宗教には大きく自力と他力の2つも門があるが、最後に2つは合一すると思っている。
まずは他力としてゆったりと(それでも真剣に)祈ってほしい。




朝、新聞の一面に載せられた被災地の写真を見ながら、心を祈りに向けていると今まで感じたことのない感覚が生じた。

それは私以外の大勢の方が今回の被災者の為に祈っておられるという感覚だった。
私という存在はとても小さいが、それでも確かにその大きな大きな流れの中にいるという実感だった。

祈ることは素晴らしい。
祈りは必ず相手のもとに届き、その力となる。

宗教や宗派を超えてまずは亡くなった方と被災者の方の為に祈りたい。

                                合掌

【関連記事『不屈の日本』…米紙称賛】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110313-00000037-mai-soci



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