囲炉裏と原始の記憶
- 作者: 大内正伸
- 出版社/メーカー: 農山漁村文化協会
- 発売日: 2009/06/01
- メディア: 大型本
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昨日Amazonから届いた「山で暮らす愉しみと基本の技術」をパラ読みしていたら、老僧の生家である山寺の庫裏の居間にも囲炉裏が切ってあったことを思い出した。遠い遠い記憶である。
数日、気温が下がっている。
朝から冷たい雨、みぞれ、牡丹雪が降る。
明日は観音寺という山寺へ法事の後のお墓参りに行かなければならないのだが、無事にたどりつけるだろうか心配。標高が高いところにあるので、かなり積雪がありそうなのである。一度、同じような気候の時にハンドルが効かなくなりガードレールの無い斜面から転落しそうになったことがあるのだ。命がけの墓参りっていうのも…
1歳7カ月の娘はこんな天候でも外に出たがる。子供の本能だろうか。
外で遊ぶと身体が冷え切ってしまうので妻が前日からのお風呂に薪を足して暖めて娘を入れる。
私も娘の後に入ったら身体が暖まることこの上ない。
湯船に浸かるとずんずんと暖かさが身体に入ってきて、換わりに深い、長い溜息がもれる。
これだけ寒いと火を見たくなる感覚がある。
囲炉裏の火は暖かいと著者の大内氏は書いているが、確かに燃える火を見ているだけで気持ちが暖まる。灯油のファンヒーターは火が殆ど見えず愛想が無い。
考えてみると人間は火というものを手にいれることでどれほど恩恵を受けたかわからない。
恐ろしい獣を遠ざけて安心を得ただけではない。火を通すことで食べられないものも食べられるようになり、生では無い<加熱したもの>という美味を手に入れることができた。
或いは火を囲むことで新しいコミュニケーションやつながりが生まれたにちがいない。
私達の祖先が火というもの畏敬とも感謝ともつかない念を抱いていたとしても不思議ではない。
そして多分、私達の意識の奥にはこうした記憶が仕舞いこまれているのかもしれない。
焚き火や竈の火、或いは風呂の焚き口の火を見ていると何とはなしに心惹かれることがある。そういった感覚の奥には遥か遠い過去に由来する原始の記憶があるのかもしれない。
その起源は古代インドにまでさかのぼるが、火によって煩悩を焼尽すること、舞い上がる煙火に載せて願いを天上に届けること、移り変わる火の形のなかに仏を観想することなど、様々な意義を持つとされる。
護摩もまた、火への深源な感覚を利用しているのではないかという気がする。
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