弁護士はお不動様

京都市内の友人に電話したらカセットボンベを求める人の列ができているとのこと。
どうやら関東に送るらしい。


当地は最も影響の少ない地域のひとつと思われるが、それでも量販店やホームセンターでは乾電池、懐中電灯、携帯ラジオなどが品切れとのこと。(老婆心ながら懐中電灯はワークショップのようなお店に行けばまだ在庫があると思われる。山寺のそばにある○オツキにはまだ沢山在庫がありました。懐中電灯も良いがヘッドランプは両手は使えるので実際的である。)





人が無くなると7日ごとに冥界で審理を受けるとされ、その際に故人を導き、護って下さるのが本地仏という仏様である。
昨日、臨済宗の布教師の方の法話で「本地仏は弁護士」という表現があった。

初七日の、つまり最初の本地仏不動明王である。


お不動様が弁護士…


分かりやすく、面白い表現である。



初七日→不動明王
四十九日→薬師如来
一周忌→観音菩薩
三周忌→阿弥陀如来


十三の供養の節目の内、特に重要と思われる節目にはポピュラーかつ強力な本地仏が布置されていて、“仏様のドリームチーム”というべきか。

三回忌にあたる十番目の本地仏阿弥陀如来というのは
リーサルウエポン?ジョーカー?のようにどんなに迷った人間でも最後には阿弥陀様が救って下さるという信仰があったのではないかと思われる。


だが、昨今なら「そんなもの迷信に決まってる」と一笑に付されるか、少し知識の有る輩には「そんなもの中国の十王思想をもとに作られたものでしょ」とやはり一笑に付されてお終いである。関心の無い人には全くもってどうでもいい話かもしれない。



浄土系の方と意見交換した時に意見が一致したのは<人間にとって死の瞬間の意識がとても大事なのではないか>ということである。

死は間違いなく生前の意識の総和である半面、死の瞬間の意識が強烈なベクトルとなってその死後に大きな影響を与えるということである。


記憶媒体の上にどんどん上書きされていくようなものといえば分かりやすいかもしれない。
意識は上書きされるということである。(これはトラウマやコンプレックスのように過去の記憶や体験が厳然として現在に大きな影響を及ぼすという現代心理学の考え方とは大きくことなる。)

だからこそ死の瞬間の意識が大事であり、死に際して念仏お唱えれば往生できるとされたのもそのことと多いに関係があるのではないかという気がする。



関東にいる禅宗のお坊さんに安否確認したらなかなか連絡がつかなくて心配していたのだが、昨日電話があった。福井の山奥のお寺で座禅修行されていたとのこと。この方も毎日のように今回の震災で亡くなって方々の慰霊をされているそうである。どのような形で供養するのがよいかいろいろ意見交換ができて有難かった。


今は軽挙妄動を慎み、故人の冥福祈りと被災された方の安寧を念じたい。
心ある方は是非「般若心経」などで故人の冥福を祈って頂きたい。合掌


         【告知】

当山所蔵の快慶作“深沙大将立像”は7月16日から28日まで奈良の国立博物館に出展されます。その前後は不在となりますので、当山の仏像を拝観希望される方は御留意下さいませ。
『天竺へ 三蔵法師3万キロの旅』
http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2011toku/tenjiku/tenjiku_index.html


       【告知】

「生きがいの創造」シリーズの著者である飯田史彦先生の講演会を舞鶴で開催することが決定いましました。
期日は10月23日(日)。主催は舞鶴東仏教会です。詳細が決まりましたら、当ブログにて告知を行います。

[決定版]生きがいの創造

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