舞鶴の照る照る坊主  カエルと読経

 
舞鶴は面白い街で東西に分かれている。

舞鶴は明治以降に軍港として再開発され、かっては新舞鶴と呼ばれたこともある。
(ただ中世以前は東舞鶴が栄えていた痕跡がある、古刹と呼ばれる寺院は東舞鶴に多いからである。)

お寺について言うなら舞鶴にある寺院の大半が禅宗である。
おそらく西舞鶴に田辺城があった影響ではないかと思う。城下町には禅宗が多いからである。

同じ禅宗でも東舞鶴臨済宗、西舞鶴曹洞宗が多いというのも興味深い。
自宗である真言宗舞鶴市全域でほ大変に少ない。

西舞鶴曹洞宗の大刹で桂林寺というお寺がある。
中本山の格式を持つ由緒あるお寺で、恐らく舞鶴で一番檀徒の多いお寺だろう。


先日、御住職にお逢いしたら

「ウチは競輪寺で自転車操業しております」

と真面目な顔で言われたので笑ってしまった。
大きなお寺の御住職でも気軽に冗談を言って頂くとちょっとホッとする。

舞鶴は様々な歴史のある街だがもうひとつ元気がない。

大切な若い友人の一人が新しい取り組みを始めた。
若い人達にどんどん智慧を出してもらって素敵な街になってほしいと願っている。

舞鶴野村寺てるてる坊主familia】http://teruterubouzufamilia.com/



車で走っていると道路に点々と土の塊が落ちていることがある。
ラクターの走った跡である。いよいよ農事が忙しくなってきたのだろう。


本日の午前中は快晴也。
ところが法事を終えて帰る頃から雨が降りだした。

そういえば施主が故人は大変な“晴れ女”だと言っていたことを思い出して少し不思議な気がした。
長寿を全うして、最後まで元気に働き、大往生を遂げた素敵なおばあさんだったそうである。

お墓にお参りした後、施主が「これで気持ちの区切りがつきました」と言われた。
その言葉になんともいえない感慨を感じた。
法事をするということが人生のひとつの区切りになるのだと感じて、法事をさせて頂くということの大切さを改めて感じた。施主は故人が亡くなってから50年間お膳を供えていたそうである。その気持ちの深さにしんみりとした。



先日、お参りに行った法事ではお墓参りに行った先が見晴らしの良い高台だった。
眼下には水を張った田んぼが数十枚見渡せる気持ちの良い場所だった。

読経しているとカエルが鳴き始めた。
多分、雨の降る前で気圧が変わったのだろう。
カエルは私の好きな生き物で、鳴き声を聞いていると心が和む。
カエルの合唱を聞きながら読経していると、自分も一匹のカエルになったような気がした。


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飯田史彦先生が被災されたとの情報があり現在確認中です。

「生きがいの創造」シリーズの著者である飯田史彦先生の講演会を舞鶴で開催することが決定いましました。
期日は10月23日(日)。主催は舞鶴東仏教会です。詳細が決まりましたら、当ブログにて告知を行います。

[決定版]生きがいの創造

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