電車の風景

古い女性の友人と話していたら電車で座席を譲るべきかという話題になった。

その友人は若い頃、年配の男性に席を譲ろうとして声をかけたら、車内の響き渡るくらいの怒声を浴びせられたという。

その友人はとても優しい性格で、その彼女がとても傷ついたのだという気持ちがひしひしと伝わってきて、こちらも気持ちが沈んだ。




私は少し前に電車の中で若い男の子が席を譲るのを見た。

高校生くらいの男の子がおばあさんに席を譲ろうとした。
周りも気がついて座る位置を変えたら座席に余裕ができた。

席を譲られたおばあさんが男の子に「あなたも座れますよ!」と大声で呼びかけたので周りがちょっと和んだ。

男の子は少し恥ずかしそうにしてそのおばあさんの隣に座った。

男の子は暫くして下車したが、降りる時に実に丁寧におばあさんに頭を下げていた。
こんな素朴な若い子もいるんだなと少しホッとした。


なんとも狭量で、情の通じない人を見かけることがある。
田舎よりは都会での経験のほうが多い。

都会の電車に乗ると半数くらいの乗客が携帯の画面を見ていることがある。

携帯、ゲーム、音楽…他人がそばにいながら自分の世界に没入したり、逃避したり、自分の都合の良い時間に浸れる社会というのは便利さと危うさの二面を持っているにちがいない。


知り合いに大学教員が居て、たまに逢って話をすると大抵、若者のコミュニケーションの不足が話題になる。

最近は新入生を対象とした泊まりがけの研修旅行があって、その主な目的が“友人を作らせる”というものだそうだ。

最近の大学生は高校生か中学生みたいだと、その教員はよくこぼしている。


若い人を見ているとコミュニケーションがうまくとれないという人が多い。
相手の顔を見て話をするということが苦手の人も多いように感じる。

人との付き合いにもいろいろあるが、相手の深い情のようなものに触れるとか、相手の人格の中にとびこんでいくような体験が極めてすくないのではないかという気がする。そういっや体験は液晶の画面を通じては体験できないのである。


同じ人間であり、日本人でありながら、時々相手に大きな違和感を感じることがある。

このことは日本人のこれからの未来と大きく関わっていることなのでこの傾向がどうなっていくのか多いに関心がある。


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