雪滑シートが失敗に終わった件  勇貫堂「雫」 武士の力



昨日、兼務寺院の多禰寺に行ってショックだったことが一件。


庫裏の接合部分に雪が溜まるので滑雪シートなるものを購入して貼って見たのだが、殆ど効果なし…



我ながら良いアイデアと悦にいっていたのにガッカリである。


今年の雪は水分が多く、重くてひっつきやすいようである。なかなか思い通りに上手くいかないものである。


やっぱり屋根に上がって下ろすしかない!(溜息)



本日も舞鶴銘菓を御紹介。


勇貫堂の「雫」。

ふわふわもっちりのお餅の中に粒あんぎっしり。
このもちもち感がとてもいい感じ。
オーソドックスの良さとでもいうのでしょうか、定番的な美味しさであります。

ちなみに勇貫堂の栗饅頭は東郷平八郎元帥も好物だったとか。



平家の群像 物語から史実へ (岩波新書)

平家の群像 物語から史実へ (岩波新書)


僧侶の役割というと今日では葬儀に法事、それに祈祷祈願の類ではないかと思う。
だが歴史の中で様々な役割を果たしてきたように思う。



学研の徒であったり
通訳であったり
外交使節・外交顧問であったり
ブレーンやシンクタンクであったり
官僚であったり



現在からはあまり想像しにくいが、権力者が僧侶に政敵の呪詛を依頼したり、逆に政敵からの呪詛に対抗するための呪的な防御といったことも担っていたことは間違いない。


武士の台頭は当たり前のように弓馬の力=軍事・警護という現実的な力によって説明される。


だが武士は軍事や警衛という暴力・威嚇・執行の現実的な力以外にも宗教や呪術といった別種の力に関わっていたようである。


現在でも皇室では鳴弦の儀が行われている。


これは矢をつがえない弓を鳴らすことで
病気平癒や不吉な出来事が起った時に邪気を払うなどの役割あったとされる。


内裏でも武士が矢を携えずに弓を持った武士が弦をかきならして巡回するといったことがあったようである。


少なくとも呪的な力で奉仕した護持僧と武士の役割はかなり重なるように思うのである。


つまり武士の台頭のひとつの要因はこの破邪、防邪の力もあったのではないかと思うのだが、まだ適当な資料に出逢っていないので五里霧中である。


このことは三種の神器に剣が含まれていることや、密教法具の多くが古代インドの武器に起源を持つことなどなどが関係していると思っている。


良く分からないことを頭の中で反芻するというのもなかなか楽しいものである。


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