ガンダム世紀の仏教言葉 西舞鶴の美味しいパン屋さん
本日は暖かな一日。
雪もぐんぐん溶けだしています。
雪が溶けると、雪折れの木の枝が一層目立つ。
雪の上には鹿の足跡無数。鹿の糞多数。
折れた枝を拾ってきては薪にしているのだが、友人のFBW氏が先日買った電動ノコギリを見たいと訪問して下さった。
いざデモンストレーションをしようとしたら…
アタッチメント式の刃が付きません…
「可笑しいですねえ」
とか笑いながら…
内心は冷や汗たらたら…
説明書を必死に再読してようやく装着完了。
無事デモンストレーションを終了することができた。
何事も段取りが大事…といつもの反省。
FBW氏は地元屈指のネットワーカーさんですのでお茶を頂きながら地元の話題をあれこれ楽しく御話してくださいました。
機動戦士ガンダム 0083 STARDUST MEMORY vol.1 [DVD]
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- 発売日: 2000/01/22
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先日、Youtubeで『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』
を観たら止まらなくなって、結局一週間で全話観てしまった。
キャラクターの設定やプロットにはやや難あり。
特にヒロインのパープルトン女史の言動には相当問題あり。
ただモビルスーツ戦の素晴らしさ、一年戦争と接続具合はまことに宜しい。
戦闘の最終局面で(私の聞き間違いでなければ)“ソロモンの悪夢”ことガトー少佐はこう言い放ちます。
「ナムサン!」
ピンチの時に「ナムサン」と言うのは一昔の時代劇や劇画などでは時々見かけた言葉ですが、これは「南無三宝」の略です。
英語でならピンチの時に「ジーザス」と言うところでしょうか。
「三宝」とは仏法僧であり、そこに帰依するということですが、ガトー少佐は仏教徒なんでしょうか。
宇宙世紀まで仏教タームが残っていることに一安心であります。
夕方、西舞鶴で所用があり、何年振りかで駅前の商店街を歩いた。
昭和の香りがただよっています…
お店を覗くと暇そうな店主さんが孫の手で背中かいてたり、楊枝使ってたりと…
ものすごく昭和の香りが…
流行っているお店は居酒屋さんが多いですが何軒か目新しいお店を見つけました。
店名は忘れましたがハワイ式のコーヒーが飲めるというお店が出来ていました。
次回はトライしたいです。
そして商店街のはずれにとても美味しそうなオーラは放っているパン屋さんを発見。
パン好きとしては入らずにはいられません。
お店の名前は『パン工房 コムギ屋』さん。
- ジャンル:パン
- 住所: 舞鶴市字本51番地
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- (写真提供:7sora)
出て来たスタッフのお姉さんもものすごくオーガニック&ナチュラルな印象で内心「おーっ!」と歓声を上げてしまいました。
早速、3つ購入。
どれも美味しかったです。特に生地のサクサク感が素晴らしい。
このお店のクロワッサンは絶対に美味しいに違いありません。
次回は是非トライする予定。
- 作者: 桜井章一
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昨日、御紹介した「そんなこと、気にするな」から気に入った一節を引用させて頂く。
桜井氏は日本人がお金を稼ぐことにばかり心を奪われ「金にならないことにエネルギーを注ぐ」ことの大切さを忘れていると説くなかで次のようなエピソードを紹介している。
かって松下電器と呼ばれた世界的大企業パナソニックだって、もとは電球工場だったと書いた。
その当時のことで、こんな話があるので、いい機会だから書いておこう。
毎日、毎日、工場でつくった電球を磨くのが仕事の社員がいた。ただひたすら、タオルで電球を磨くことだけが彼の仕事だった。一年も過ぎ、二年も過ぎた頃、彼は仕事に飽きてくる。「なんでこんなつまらない仕事をしているんだろう」と思っていた。
そんな時、町工場の親父がやってきた。
「どうしたんだ、元気がないね」
彼は、思いきって日頃の不満を言ってみた。
「だって、こんな子供でもできる電球磨きばかりやっているんですから、おもしろくないですよ」
油にまみれた仕事着を着た町工場の親父は、こう言った。
「いや、電球磨きだって大変な仕事だよ。たとえば、疲れたお父さんがバスを降りて、家に向かう途中、自分の家に明るい電球が点いていたら、『ああ、あそこが私の家だ。子供たちが待っている』と思うよね。また、若いお嬢さんが夜、怖い思いをしながら、家路に戻る時に、街灯の電球の光でどれだけ安心するか。それもみんな、君が電球を一生懸命磨いてくれるおかげだよ」
この話を聞いて、彼は、それから自分の仕事に誇りを持ち、懸命に働いたそうだ。この町工場の親父が、あの松下幸之助だ。
戦後の町工場にはこんな話がいくつもあった。
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