お彼岸の涙

昨日は午前中に月参り1件。


その後、松尾寺の彼岸供養に出仕。


お彼岸の出仕3日目である。


遠眼に見る青葉山は白い霧に包まれ、神々しいかった。だが…


山道を車で登っていると雪がうっすらと積もっていることに気がついた。


彼岸の法要が始まる頃には雪は止んだが、昨日より気温がかなり下がって寒さが身に沁みた。





【お昼ごはんは岩のりを浮かべたみそ汁としぶなをふりかけたおにぎり。美味でした。】





歳をとったせいか涙もろくなることがあって困ることがある。


娘が生まれてからさらに顕著になった気がする。


特に子供に関する話になるとかなり涙腺がゆるくなる。



情と理という2つの道をどちらも大切にしてゆきたいと思う。


お経には理が充溢しているが、理が説かれているお経を情で生きることの多い私達の生活のどうリンクさせるかというのは大きな課題でなないかと思う。




松尾寺の前住職である松尾心空師は法話の名人として知られる。


寂聴さんなどよりずっと早くから、親しみやすく、知的な法話を説かれてきた。







心空師のような法話はできないまでも、情理を尽くす一歩として、できるだけお参りの方とお話をしたり、相手の方のお話を伺うようにしている。



本日は和歌山から初老の御夫婦が訪ねてきて下さった。


西国薬師霊場を巡礼されていた方で、2年前に兼務寺院の多禰寺に参拝して下さったのだが、その時、息子夫婦が子供に恵まれないというお話を伺った記憶があった。


どうしてもお伝えしたいことがあると言われて面会した。


西国四十九薬師霊場を満願した翌日、息子さん夫婦から子供が授かったと連絡があったとのこと。


「嬉しくて、嬉しくて…」


奥様が涙ながらに語られるのを見ていると、こちらも思わず涙がこぼれた。


霊験あらたかともいうような御話に御利益というものの有難さを感じた。


2年前に参拝された時に私があれこれ御話したことが心に響いたので御礼参りに来られたとのこと。


こういう心根の方だからこそ福に恵まれるのだ…と思わずにいられなかった。





この仕事についてまだ10年にもならないが、いろんな出逢いの中で人に感謝されるのは大きな励みである。


評価されることが全てではないし、評価を求めれば道を誤ることもある。


ただ思いがけず評価され、感謝されることに心励まされることが多い。


長い道のりを歩いている時に道端の草花に心を慰められるようなものだろうか。


その花は私が見つけたのか、その花の向こうに私に頑張れといってくれる存在があるのか。


いつか、一歩一歩の歩みそのものに深甚なる感謝と感動があれば…と思うが、今はまだそんな境地にはなれない。



情の世界を超えると理の世界があってそこを超えるとまた別の情の世界がある。そんな繰り返しで私達は少しづつ心を向上させているのではないだろうか。


今の私には遠い世界だが一歩づづ歩んでいくしかない。


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