本堂にて 女優はたいしたもんだ
数日前にリスの撮影に行ったら、間髪入れずリスが裏山に駆けあがっていった。
小さなお尻を左右に振りながら必死に走る様子がメチャクチャ可愛いかった。
ずっっきゅーんんん
(住職の心が射抜かれた音。効果音はファーストガンダムのビームライフルの音で。)
今日はリスが千年カヤの大きな根っこに登って餌を食べていた。
明るい日差しが灰褐色の毛並みを照らして、これが写真に撮れたらどんなに綺麗だろう…と思った。
明日はお不動様の日で信者さんのお参りがあるので本堂を掃除。
本堂から雪の積もっていない三重塔を見下ろすのも久しぶりである。
いつの間にか娘が私の後について本堂に上がってきた。
大きくない本堂だが、娘がたたずんでいると、やたらと広く見える。
昨日までの寒さが消えて、陽差しが暖かい。
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「女優はたいしたもんだ」
と友人が言った。彼は尾野真千子氏のファンでNHKの「カーネーション」をずっと観ていたのだが、最後に来て主人公が夏木マリに代わってしまった。
最初はただの「キツいおばはん」になったとがっかりしたそうだ。
彼には尾野真千子氏のような魅力が無いと感じたそうだ。
だがしばらく見ていると、どんどん印象が良くなって、最近では尾野氏が演じていた主人公がそのまま歳をとったといわれても違和感がないくらいだという。
数日前の放送で主人公がこんなことを言ったそうだ(友人談話より)
「これまで自分が成功したことというのは全部人の為を思ってやったことばかりだ。自分の為にやったことはことごとく失敗した」
その会話の中で聖書の言葉が引用されていたそうだ。
「与うるものは受くるものより幸いなり」
(『新約聖書』使徒行伝20章35節)
なかなか良い言葉だと思う。
その友人に「人の為にやったことは成功し、自分の為にやったことは失敗する」とはどういうことか?と聞かれた。
この言葉はいろんな解釈ができるだろう。
例えば、バブルの時にお金だけを追いかけた人の大半が失敗した。
このことは少し似ている。
一般に運がいいとか悪いといういい方があるが、この世界にはいろんな力や流れがあって、どの力や流れにアクセスするかはその人の意識にリンクしていると思う。
運というのはあくまでその一部だと思う。
自分中心の欲という意識だけで臨むと、大切なことが見えなくなったり、大事なものを失ったりするのではないだろうか。
大宇宙とか自然の大きな流れというのは自分中心ではなく「生かし生かされ」という自他共生の力(流れ)だと思う。
自分中心で生きるということは実は自分の努力といったものを遥かに凌駕する、大きな力を見失い、時には拒絶することにすらなるのではないだろうか。
それではいつか淘汰されてしまう。
いいかえると自分中心の生き方は一見得なようで実は損といえるのかもしれない。
…そんな風に答えた。
もちろんこれが正解というわけではないが、自分中心、欲や自我だけの生き方は一面的な成功をもたらすが、実は大きな陥穽があるように思う。
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