「身体にきく」 『「気づきの瞑想」を生きる』

いつの間にか、夜になると賑やかなカエルの声を聞くようになった。


ふとんに入って、遠く、近くから聞こえるカエルの声に耳を澄ますのはとても心地よい。
気持ちが穏やかになってゆくようで、私の好きな時間である。




FBで友人の近況を見ていたら同級生が「水都大阪100kmウルトラマラニック」を完走したとのこと。


走るということは無縁な生活になっているのでただただ驚嘆である(溜息)



とりあえず、もうちょっと頑張って作務をやろうかと…




ブックオフオンラインから注文していた2冊が届いた。


「身体にきく」と『「気づきの瞑想」を生きる』の2冊。


「体癖」を活かす整体法 身体にきく

「体癖」を活かす整体法 身体にきく



「身体にきく」の前著「骨盤にきく」がかなり良かったので購入。



著者は野口晴哉の流れをくむ整体研究家だが野口晴哉の説いた体癖を詳細に分析して面白い。



人間は骨盤のタイプによって最適なリラックスの方法や疲れ方にいろんなパターンがあるという。これが体癖と呼ばれるものである。



本書では分かりやすくこの体癖を解説している。野口自身の体癖の解説はかなり難解なので有難い。




人は様々な体癖がありこれを肯定し、受け入れることはとても大きな安心感につながるという。



人は皆違った存在であるが、異なった体癖の人が、リラックスして、共存するのはとても素晴らしいと説く。



それは異なった楽器が共鳴し合うような感覚なのだという。



一緒に居て、とてもリラックスできる人もあれば、なんだか疲れることもある。



単に自分を殺して相手に合わせるのではなく、それぞれが自分を肯定して、ことなった個性の人達が楽しく共鳴し合える…それはとても素晴らしい関係ではないだろうか。



「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語

「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語


著者は日本人である。20年あまりタイでの仏教修行を経て日本とタイのために献身的に活動をされている。


友人の曹洞宗のお坊さんに推薦してもらった本である。


同じ仏教といってもタイ仏教は日本とは相当に違いがある。


タイの僧院での生活、タイの僧院を訪れた人々との交流などが綴られていて大変興味深い。



日本の仏教はいろんな意味で岐路に立たされていると感じるが、果たして仏教はこれからも生き残っていけるだろうか…と心配になることがある。



仏教が人々の心を癒すと同時に、この世を逞しく、賢く生きる糧になりうるかということがひとつの試金石ではないかと思っている。



心定まらず、日常に追われる自分が少々恥ずかしくなる。



youtubeのお気に入り】

名作「井戸の茶碗」を「オペレッタ狸御殿」みたいなハチャメチャな感じにした「歌う井戸の茶碗」。

簡単に出来そうで出来ないと感じる。「木綿のハンカチーフ」のあたりなんか笑えます。

やはり柳家喬太郎はタダものではない…




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