被災地の俳句 オリンピックの功徳  2足歩行の猫

「まんかいのさくらがみていてうれしいな」(バジリコ 1200円)


被災地の俳句を集めた句集が出版されたとのこと。

いずれも重くて深い。



お棺の人置いて逃げよと原発忌  山崎カツ子

新盆や十指にあまる貰い泣き   木幡幸子

避難してがらんどうなる夏座敷  荒コフ

一切を失い仰ぐ山法師      箱石郁子

遺骸まだあがらぬ友や葛の花   荒和子






本日も猛暑。


事務所のエアコンは30度設定だが、部屋からでるとくらくらする暑さ。


半日かかって棚経の日程調整がほぼ終了。


そんな時に限って勧誘電話がやたらとかかってくる。


檀家さんに配るのに最適の「小さな風呂敷」とか「わず42グラムしかないLEDライト」とか。

勧誘電話というのは最初に延々と商品の効能を喋り続ける。

それを聞いているだけでもかなり辛いものがあるが、無碍にならない程度にきっぱり断る。

つ、辛い…



夕方、少し涼しい風が吹く。空はいつものように綺麗。


どんなに暑くても夕方の涼やかな風と綺麗な夕焼けは夏の御褒美である。



オリンピックの映像を観ていて思うのは笑顔の素晴らしさである。


オリンピックという狭き門に至る為にどれほど多くの汗や涙があっただろうか。


圧倒的に多くの敗者の上に一握りの勝者がいる。


それがどんな立場であれ、人間の笑顔というのは私達に喜びを与えてくれる。


だから笑っている人を観て、素直に喜びを分かちあいたい。


参加した全ての人達に感謝を捧げたい。


笑うということは無形の功徳であると思う。


功徳というと財を施したり、ボランティアをしたりといったものを連想しがちだが、もっともっと広いものだと思う。


この世で私達が発したものは私達に還ってくる。そこに因果の理法があると思う。


人に喜びや感動の心を与えたならそれは必ず、自分に再び還ってくる。


だから大勢に喜びや感動を与えるアスリート達の功徳は大変大きなものと言える。


喜びや感動を得た者も、素直な心でそれらを受け取り、自分の心を清められるなら、その功徳というものはなんらかの形で自分に還ってくるに違いない。


素直な心を持っているとどんどん功徳を広げることができる。


子供の笑顔でも、汗を流して一生懸命働く人の姿でも、路傍の花にでも、一椀の白米の美味しさでも…


そんな素直な心を自分も持ちたいものだと思う。




【オマケ】二足歩行の猫?笑いもまた功徳のひとつの形であろうか。





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