シベールのラスク あるいは 宇宙に関する転倒夢想

 





庫裏の前の百日紅が元気に咲いています。コスモスやシュウカイドウも咲き始めました。




明日はさらに気温が下がり初秋に相応しい気候になる様子。






今日は老僧愛用の1トントラックに乗って境内のあちこちからガッツリ薪の原木を集めました。



1ヶ月分はあるでしょうか。でも今月中にあと4カ月分くらいは集めたい。



もっともこれを割って積みあげるのも結構な作業なのだが…




檀家さんからシベールのラスクを頂いのでティータイムに。
ここのラスクは本当に美味しい。



【シベール】http://www.cybele.co.jp/



お気に入りはアールグレイの茶葉とオレンジピールの入ったもの。
紅茶はストレートが合う気がする。



トワイニングから200グラム入りの缶が出ていて毎日飲むには手ごろな値段である。



毎朝飲むのはオールスパイス、生姜、黒糖入りのミルクティー


京都駅地下街の輸入食品店で買ったこともあるがアマゾンのほうが安かった。





【この紅茶の空き缶はスタックできてかなり便利!】



自民党の総裁選は安部さんしかいないように思うがマスコミはきっとあれこれ叩くに違いない、マスコミに惑わされずに資質を持った人物を選ぶようにしたい。



今度の自民党総裁選について津川雅彦さんのブログの記事がなかなかの正論だと友人に教えてもらった。




    【http://ameblo.jp/santa-no-kakurega/entry-11345781275.html




堂々たる正論で読んでいて嬉しくなった。



この記事で少しだけ異を唱えるとすれば森喜郎氏の評価である。



森喜郎氏ほどマスコミに叩かれた首相はないが、いろいろ伏線がありそうなのでついでに少し調べている。



たまたま森喜郎氏の事績をしらべていたらこんなエピソードが見つかった。


森氏がアフリカに視察に行きケニアの自然公園に視察にいったところ象がいなくて、案内係が恐縮していた。


森氏は案内係のネクタイが象柄なのを指して、「象はいないはずですよ、あなたのネクタイの中にみんな集まっているのですから」というジョークでその場を収めたという。



なかなか楽しいエピソードだと感じた。



WIKIの森氏に関する記事を読んだが、森さんサイドの人が書いているらしく、どこか温かみのある内容である。



長い記事だが機会があったら読んでみて頂きたい。



そしてマスコミに批判的に叩かれていることが必ずしも真実ではということが往々にしてあるということが良く分かる。



隠れていた宇宙 (上)

隠れていた宇宙 (上)



宇宙からみれば自分とはとてもちっぽけな存在だ…と思いがちである。



そのちっぽけな自分の心に浮かんだこと…それは無限の広さを持った大海に出来た小さな波紋のようなもの。


だが、実はその波紋は、大海全てにつながって、波紋即大海であったらどうだろうか。



ひとの思い、心の動きに宇宙全体の実相がある…これは「一念三千」と呼ばれる。



これは中国の天台教学の基本教理となった考え方である。




自分の心が即ち宇宙の全存在とつながっているというのはとても壮大なイメージを喚起させる。




この宇宙は太古の昔に微小なひとつの存在から始まって、無限ともいえる時間を経て空無に帰し、そしてまた同様のことが繰り返される。



私達は刹那の存在として、無限の時間と空間のなかの微細な時間と空間を生きているよう思うが、私達が認識していると感じる、時間と空間が本当に全てではないのではないか。




時間において…



宇宙の始まりであり、一なる存在であった時の姿は遠い過去ではなく、実は現在にもダブっているのではないだろうか。




遠い未来に訪れる空無の時間も実は現在にダブッっているのではないだろうか。




始まりと終わりは実は現在の中にあるのではないか。



空間においても…



私達がどんな極小の一存在であっても実は全存在とつながり、響きあいっているのではないか。



神や仏、あるいは天というものも自分と別個にあるのではないということになる。



自分即神。


自分即宇宙。


自分即天。



神道では人間は神の分霊(わけみたま)と言われる。



ちょうど仏教で人間の中に仏性があるのと同じであろう。



しかし、一念三千という世界観をつきつめていくと、その分霊や仏性というのは決してちっぽけなものではなく、神そのもの、仏そのものが自分の中にあることを示唆しているのではないだろうか。




中国の禅僧であった玄沙師備(げんしゃしび)は「十方世界は一顆明珠」と説いた。




全世界が一箇の美しい珠であるとはなんと魅力的な表現、魅力的な発想だろうか。





秋の夜更けに虫の鳴く声を聞きながら、時々そんな他愛もない妄想に興じる。




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