お坊さんを困らせる質問について 

あるブログの記事にこんなことが書いてあった。


かいつまんでいうと…


お坊さんが法事に来られてお経の後、いろいろ法話をされたのですが、その時に



「人は何のために生きるのか?」



と質問したらそのお坊さんは答えられなかった…



そのことにすごくガッカリした。


…ものすごく端折るとこう書いてあったのです。



法事に行って…いきなり…



「何のために生きるのか?」



と聞かれたらこれはかなりの難問ですよ(笑)



そのお坊さんに同情を覚えました。



例えば質問者が死を思いつめていてこのような質問を発する可能性もあるわけです。



そうなると迂闊には答えられない。



自分の答えが相手の自死の引き金を引くかもしれないのだから。



相手にその可能性があるのかどうかといったことを全力で察知するよう努力しないといけないでしょう。これはなかなか大変です。



それからもっと哲学的な関心からこの質問がでることもある。前日、哲学の本を読んでいて、今日、お坊さんに逢ったからちょっと聞いてみようとか…




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或いは仏教にネガティブな印象を持っていてちょっと困らしてやろうとか…




これも可能性は低いか…



そもそも自分ならどう答えるだろうか?



ひとつの答えは



「幸せになるため」



…ただその幸せの中味が難しい。



<お金があって健康なのが幸せ>という人もいるかもしれない。



そんな幸せの為に生きているのか。



「人間として向上するため。」


もちろんその<向上>というのが単に仕事ができるとか、お金持ちになるとかではない。




「人間としてより本質において向上すること」



「人間の本質に於いての向上」



ちょっと近くなってきましたが…何か不十分、隔靴掻痒です…



難しい…



仏事そのものが人生の目的を現わしていると言えなくもない。



少しズルイ答え方ですが(苦笑)



つまり仏事とは…



今在る、自分の人生の前に家族、先祖といった人々の歩みがあってそれに敬意、畏敬を感じ、



この世に在る子孫としてそのことに感謝、謝徳、報恩の念を新たにし、



神仏という人智を超えたものの存在に畏敬や感謝を捧げるというもの。


仏事それ自体が人生の重要な価値観を現わしているといえなくはないわけです。




ま、とりあえずそんな質問が出ないことを祈るしかないか…








昨日は娘からもうひとつ難問をつきつけられた。



山寺の近所で害獣を追い払う花火の音が聞こえた。



「畑に動物がこないように追い払っているんだよ」


と説明したら…



「なんで(人間と動物で)半分コにしないの?」



と尋ねられた。



これもなかなかの難問でどう答えたものか未だに考えている。



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