お風呂の新兵器 悩みについて悩みながら考える その2
肌寒い季節になると暖かいお風呂が恋しくなります。
薪で焚いたお風呂でじんわりと身体の芯から暖まるのは本当に良いものです。
全国にいろんな温泉施設がありますが、<薪で焚いたお風呂>も温泉と同じくらい身体を温められます。温泉が湧出しない場所でも作れるので<薪で焚いたお風呂>をもっといろんな形で普及させてほしいと思います。
但し薪を入手するのがなかなか大変です。
倒木や枯れ木を切断し、さらに割木にして乾燥させないといけません。
薪を割る作業を省力化できないかと思って先日、油圧式のジャッキで薪を割る機械を購入。
これはなかなかの優れものでした。
さらに今回は電気でお風呂を沸かすという機械があって、思い切って購入してみました。
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これからの時期は水温が下がるので、冷たい水をお風呂になる温度まで温めるにはかなりの量の薪が必要になります。
ある程度の水温になるまでこの機械で温め、最後に薪で焚けばよいのではないか…と考えてみたわけです。
数十円の電気代(推定)でお風呂が湧くので薪の節約法としては有効だと思います。
お湯を温めるのに時間がかかること。太いコードがついていて意外に場所をとるのが欠点でしょうか。ただ併用している灯油のボイラーよりは多分安上がりだと思います。
先日、この機械を試運転みましたがちゃんとお風呂が沸きました。
週に1回くらいはこの機械を使って薪を節約する予定です。
昨日、Youtubeで古今亭志ん朝の「刀屋」という落語を聞きました。
女性問題に失敗して、相手を殺してやろうと思いつめ、刀を買うために訪れた店で店主に意見されのに諌められる…深刻な話をどこかお可笑さのある噺にしていく手腕はさすがです
悩み思いつめている当人にとって、悩みは“絶対的”なものですが、第3者の視点からは全く違う側面が見えています。
悩んでいる当人は悩むという絶えざる思いのなかで、さらに正しい判断ができなくなっていく…
悩みというのはひとつのループのように回り始めるとなかなかやっかいです。
そこからぬけだせなくなるという性質があるからです。
落語の最後のほうでお念仏を唱えるという場面がありますが、「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でもお唱えするというのは実は大変有効な方法だと思います。
(真言宗に帰依されているならもちろん「南無大師遍照金剛」でも良いでしょう。)
念仏とか題目というとどういうイメージを持たれるでしょうか?
お年寄りが「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と唱えている…そんな光景を想像するとなんだか古臭い印象を抱いてしまいますが、実はこうした念仏、題目といった行為は悩みという心のループを絶ち切るのにとても有効なものです。
悩みというのは一処から思いが離れないという決定的な性質があります。
「あれがほしい」「あいつが憎い」「あんな失敗をしてしまった」「これからどうなるんだろう」…
悩みは心のエネルギーをすいとってどんどん大きくなります。
その時にエネルギーを題目という別のものに振り向けることで悩みのループをこれ以上大きくさせず、収束させていく力というのが生まれるのです。これは極めて合理的な方法といえるでしょう。(もちろんこれは念仏のひとつの側面であってその全てではありませんが。念の為。)
自分が何かの強い思いに囚われている時、一心にひとつの聖句をお唱えするというのは大変優れた方法であるように思います。
悩みを解消するアプローチのひとつで身体の柔軟性について前回述べました。
柔軟性というとガバッと開脚できるとか、ペタンと前屈できる…というイメージがあります。
首筋、肩、背筋という身体の背面を中心とした筋肉はかなり体積がありますが、この部分が柔軟で、凝りや冷えが無いというのはかなり大切ではないかと思います。(このことはまだまだ考察の余地があるのですが)
ウツの人などは首がものすごく凝っていることがありますし、鍼灸家の方の本を読んでいたら、首の凝りをケアしたらウツの症状が大幅に軽くなったというお話もあります。
対処的な方法ですが、マッサージ(フットケアやリフレクソロジーのようなものもふくめて)身体に触れてもらって凝りを無くすというのはやはり有効なものだと思います。
心が固まると身体も固まって、凝ってくるというのは興味深い現象ですが、このことを決して軽視できないと思います。
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