涙雨しとしとと  観音様を念じてきた日本人

銀河英雄伝説 外伝」の主題歌が気にいったので歌手のAKEMIさんのCDを探したが「銀英」のサントラ以外は密林にも出ていない。


花のあすか組!」の主題歌も歌っていた方らしい…


ようやく「NEW DAYS」というCDをブックオフオンラインで探して聞いてみたが…全然かすりもしない(涙)



久しぶりに冒険して買ったCDが大ハズレとは悲しい限り。


Youtubeで我慢しときゃ良かった…




今日は午後からやや激しい雨。遠くの景色が白く霞んで見える。涙雨か…



【The treasure we looking for…】



でも外伝の主題歌である“kid”はなかなか良い。



「銀英」の主題歌、エンディングは名曲揃いである。



同時に買ったのは「観音経講和」「金・銀・銅の日本史」の2冊。3点で1650円也。



観音経講話 (講談社学術文庫)

観音経講話 (講談社学術文庫)


金・銀・銅の日本史 (岩波新書)

金・銀・銅の日本史 (岩波新書)






毎年、境内の奥でサツマイモを栽培しているが今年はウサギにサツマイモの葉を食べられて僅かしか採れなかった



毎年100キロ〜160キロくらいの収穫があるのに今年は僅か40キロ。



イノシシ防御用の頑丈な柵を設置したのだが、柵の間隔が少し荒く、柵の隙間から野ウサギが侵入してサツマイモの葉を食い荒らしたのである。こちらも涙雨頻り…




観音経講話 (講談社学術文庫)

観音経講話 (講談社学術文庫)



鎌田茂雄「観音経講和」…まことに滋味深い本である。




「観音経」の講義でありながら、古今の仏教者の言葉、生き様がちりばめられている。



原始仏教から始まり沢庵和尚、一休など近世の仏教者まで言及しながら観音経を説いていくという独特のスタイルだが、言葉自体は平易で大変に読みやすい。




観音経では「念彼観音力」(ねんぴかんのんりき)という一心称名が続く。


観音の力を念ずるとは「南無観世音菩薩」と唱えることに他ならない。



日本で最も読誦されている経典は「般若心経」と「観音経」であるが、「般若心経」もまた観自在菩薩(観音様)が般若波羅蜜多という深い智慧の行を持しておられることから説き起こされている。


この2つの最重要のお経は共に「観音様のお経」であるといっていいかもしれない。



そう考えると、日本人にとって観音信仰が果たした役割は大変に深いものであるといえよう。



怒りに囚われている時、人は怒りから心を離すことができなくなる、怒りそのものになってしまう。


心が怒りそのものになっているその時、「南無観世音菩薩」を唱え続ければ、怒りから心を離し、心を静めることができる。




一心称名という行は実は「忘己」(もうこ)の力を持つということである。






「我を忘れる」という言葉があるが、実は私達は常に「我」を離れることがない。



自分を傷つけた者があれば、その苦しみや怒りは常に付きまとう。



傷付けられた「我」という存在から一時も離れることが無いからである。



我という意識を離れるひとつの方法としてこの一心称名が昔から行じられてきた。



一心称名によって感情から離れると同時に、その心を仏という存在に向ける…本当に素晴らしい行為である。


言い換えると様々な修行法というのは我を忘れるという<想念の停止>をひとつの目的としているといっても過言ではない。


心を統一して座を組む座禅も、心身に苛酷な試練を課す荒行も、回答不能の問いに回答を迫る考案も、実は思念を停止させるという点で一致した働きを行っている。



もう少し見方を変えれば、私達が何かに一生懸命に心を捧げて取り組む時、我という存在から離れているのかもしれない。



母親が自分のことを顧みずに一心に幼い子供の世話をする。

サラリーマンが顧客の為に一生懸命に働く。




それらは正に自分を離れる姿である。


常住坐臥が修行であると言われるが、自分を離れるという姿を現じて一心に何かに取り組む時に人は仏への道を歩んでいるのかもしれない。



ブログランキ

ング・にほんブログ村へ
にほんブログ村←いつもご訪問ありがとうございます!
丹後の山寺の住職に応援のクリックをポチッとおねがいします(^人^)