住職の想い出し笑い こころ向上委員会
スマホは別に欲しくないが漫画カメラというアプリはちょっといいなと思う。
境内とか三重塔とか写したらどんな感じになるのかな…
昨年、棚経中に車の鍵を紛失して“ものすごく大変なこと”になったので、それに懲りて御守りの鈴をつけた。
僧衣の袂に入っていてもシャラシャラ鳴ってすぐに分かるし、落としても音がするのですぐ分かる。
かなり便利!
ところが数日前からこの車の鍵が行方不明に…
今朝、ようやく母親が見つけてくれた。
あろうことか玄関の御守りを売っている場所に置いてあったという。
恐らく…
ウチの娘が…
御守り鈴のついた鍵を御守りとして御片づけになったらしい。
御参りに来られた方はびっくりされただろう。
御守りの中に車の鍵が入っているのだから。
【ザ・ギース『病室』】
久々に面白いコントを見つけた。
ザ・ギースというコンビ。
コントであっても一定の脈絡があるのだが、その脈絡そのものを壊すというのはかなり面白い(笑)
昨晩も布団に入ってからこのネタを想い出して笑ってしまった。
たまたまYoutubeで制服向上委員会の動画で政治批判をやっているのを見つけた。
おそらくアイドルと同じくらいの女子達がパロディーの歌詞を歌っているのだが、こんな方法あるのかとちょっと感心した。歌詞の内容はイマイチなので動画は貼らないことにする。
御本尊様をはじめとする仏様が何を思っておられるかというと
『みんなが幸せでありますように』
という衆生安寧の思いではないか。
一方、私達のお願いは往々にして
『自分の○○が良くなりますように』
という“個”のお願いである。
そこで、私達自身も仏様と同じく「みんな幸せでありますように」との一念を持つべきではないだろうか。
私達自身が衆生安寧の一念を持つことで、仏様に一歩だけ近づく。
しかし、この一歩は大変に大きな一歩で、この一念を持つことで実は仏様とリンクできるのではないか。
そしてただ“個としてのお願い”を抜け出す鍵になるのではないか。
もうちょっと現世的言い方をすればこの一念を持つことは『たくさん御利益を頂く方法』に通じるのではないか。
そんなことを時々、法話の中でお話する機会があった。
ところが最近…
これで良いのか?とふと疑問に思ったわけです。
仏様が「みんなが幸せでありますように」との思いは間違いないとして、
私達が病気平癒や家内安全や商売繁盛など諸々のお願いをされることを唯善しとされるのだろうか?という疑問が湧いたのである。
病気平癒も家内安全も商売繁盛も…
結局、ひとつの平面なのではないか。
であるなら、仏様は私達の安寧を叶えたいと思われつつ、
『もうひとつ先に進みなさい』
と示唆しておられるのではないか。
最近、思うようになった。言い換えると、
「向上しなさい」
という思いを私達に向けておられるのではないか?
衆生安寧を善しとされながらも、さらに心そのものの進化(深化or真価)を目指せと言っておられるではないだろうか。
仏様がどう考えておられるかというようなことを考えるのは失礼といえば失礼だが、最近そんなことを考えた。
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