謎の“いつもいない住職” 遥かなる空と海と

 



今日はお寺の備品を修繕をされている会社の若い営業の方が来られた。




軸物、看板、欄間、小物など扱われる品目は多種多様である。




昨年、兼務寺院で法要があり、それに合わせて什器の修繕の見積もりだけしてもらったのだが価格が折り合わず断念。
その後、1年あまりの御無沙汰である。



その節の御礼を言って、お接待用のお抹茶と栗の渋皮似をお出しした。ささやかな御礼のつもり。



本日は雨天で殆ど参拝が無い。一緒にテントの床几に腰掛けて雑談。
“住職暇してるの図”である。



話をしているうちに雨があがった。



庫裏の玄関前に生えている萩が黄葉していて、雨上がりに濡れた黄色に光があたるととても綺麗だった。



これからどうされますかと聞くと、これからもう1カ寺のお寺に営業に行かれるという。



どこのお寺か尋ねると「観音寺」とのお答え。



てっきり福知山のアジサイ寺「観音寺」だと思ったら、舞鶴の観音寺とのこと。



ちょっと絶句…



なぜなら舞鶴の観音寺は私が兼務しているお寺だからだ。




どうやら私が観音寺を兼務していることを御存じないようだった。



仕方なくそのことを話したら大笑いになった。



「いつ行っても居られないと思いました」




どの業界でも営業は大変なのである…








時々、こうしたお寺関係の業者さんの電話や訪問を受ける。



1週間ほど前も授与品の営業さんが見えた。



この業者さんは毎回斬新なアイディアを反映した授与品を持って来られるので楽しみにしている。



綺麗なブルーの納経帖の写真が眼に着いた。



良く見ると「四国開創1200年授与品」と書いてある。



まもなく四国霊場開創1200年なのだという。



で、なぜブルーにしたのかと聞くと、



「空と海」…つまり“空海様の色”なのだという!



空海という御方から青をイメージできなかったので少し新鮮だった。



四国八十八カ所霊場弘仁6年(815年)に開創されたとされ平成26年(2014年)で開創1200年になるという。
きっといろんな法要やイベントで盛況になるにちがいない。



空海という御方に想いを馳せる度にその偉大さに圧倒される思いがする。





限りない空と海の広大さと純粋さのような…





巨にして虚なる器のような…





時々、空海様や密教に思いを凝らすとふつふつとした生命の躍動感をかんじることがある。





密教とは生命なのだ…




密教は生きている。躍々たる生命の鼓動。即して偉大なる生命の大根源。





深々たる心の奥に映じる大日の輝き。





今の日本には何か命の輝きが欠けているように感じることがある。




やっぱり私達には空海様の密教こそが必要だと感じることがある。




残された巨大な遺産は密教という巨大な蔵に胎蔵されている。





その金剛の扉を開き、多くの人と法の宝を分かち合いたい。




南無大師遍照金剛



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