高速バス 24日に訪れるのは… 人生を駆ける塞翁が馬

夕方から冷たい雨。明日は雪の予報。




今朝の新聞広告に京都交通のチラシを見つけた。



舞鶴―京都間の高速バスの運行が大きく変わるとのこと。



私は年間に30回以上高速バスで京都に行くので、私にとって大きなニュースである。
バスの便数が現行の4便から6便に増えるのは良いが、予約制になるのはちと面倒。


さらに京都から舞鶴を経由して小浜に至る高速バスも運行開始とのこと。


小浜は大変にお寺が多い地域である。


従って、京都、小浜で古寺巡りができるというプランなどができたら大変素晴らしいだろう…などと考えている。







SNSで御交誼頂いて方の記事を拝見していたら、


『クリスマスはサンタクロースではなくて大黒天がプレゼントを持ってきてくれると子供に教えている…』


と書いてあった。



『サンタクロース→大黒天』…その手があったか!



大黒天様なら大きな袋を持っておられるしぴったりである。
実に素晴らしいアイディアではないだろうか。



思わず膝を打ったが、今となって後の祭り。


部屋では大小3つのクリスマスツリーやサンタ型ライトがきらめき、着々とクリスマスへのカウントダウンが始まってしまっている。


お寺なのに…



今更、大黒天様を請来する余地が無い。


いっそのこと12月24日は宝船がやってきて、素敵な贈り物をしてくれるということにしようか…


トナカイの引くソリならともかく、雪の中をどのように宝船がやってくるのか…とツッコまれそうだが。


何か良いアイディアは無いだろうか…





人間万事塞翁が馬」という諺がある。



幸不幸は予測できないという位の意味で使われるが、この諺は案外含蓄が深いのではないかと、ここ数日考えている。




医療機器のセールスマンが胃がんの診断を受けて、胃を切除したら、誤診だった…ところが胃がんを疑ったことで医学書を沢山読んでいたために病気に詳しくなり、医療機器のセールスとして大成功を収めた…そんな話をある記事で読んだ。



自分自身の人生を振り返ってみてはどうだろうか。


思春期に自分を不幸だと思っていたが、なんのことはない自分は親の手厚い庇護のもとで大事に育てられてきたとか…


思春期に悩みぬいたコンプレックスは今となっては取るに足りないことだったとか…


試験で挫折して違う進路に進んだが、今となってはそのことが自分の人生の大きなプラスになっているとか…




自分の人生を思い起こしても「塞翁が馬」的な事例はいくつも見つかる。




幸福や不幸を観じる自分の価値観は狭いとか偏っているということは往々にしてある。



そのことをまず考えるべきだろう


さらに…


人生にはいろんな眼に見えない作用や力や流れのようなものを多分に感じるのである。



最近、何度か記事で見かけたのは株や不動産で大金を得たが、家庭が大きな不和に陥ったとか、大きな借財で財産を失ったという話である。


一時的な成功によって心が正常でなくなるということもあるだろうが、人生は運勢の高下を常に繰り返しているようにも感じる。





人生というは不思議なものだな…人生の半ばを過ぎて改めて思うことがある。



眼の前の幸福や不幸に一喜一憂することはない。




そう思うと少しくらいの不幸には動じなくなれるのではないだろうか。




あるいは大きな幸せに巡り合っても舞いあがり、思いあがって、大きく脚をすくわれることも未然に防げるかもしれない。



ただ、いろんな事例を見ていると眼の前の仕事や「やるべきこと」を一生懸命やってこそ、不幸が不幸でなくなるという善き展開もあるのだと感じている。



人生における不思議な力や作用や流れというのは所詮、人間の智慧では計れないものである。



ただただ自分の人生を誠実に、一生懸命生きていれば、その思いが自分の人生にどこかで通じるのではないかとも思ったりする。





一年も早終わりに近づいたが、この諺を噛みしめて、さらにはこれからの人生について思いを馳せようかと思っている。



この時期、いろんな方から来年のカレンダーを頂く。


新しいカレンダーを見ていると来年はどんな人生であろうかとの思いが浮かんでくる。



    手のつかぬ  月日ゆたかや 初暦    吉屋信子


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