精進モード 竹製の地雷除去機 日本一のビリッコ 


雪が断続的に降る。


降っては消えることの繰り返しで殆ど積もっていないのはありがたい。



11時頃の早い昼食を摂り、車で出かける。支払、届け物、買い物などなど10件以上の雑用が溜まっていた、帰山したのは4時頃になった。




本日は京都の親戚から久在屋というお店のお豆腐製品を沢山頂いた



大きな箱を開けると、豆腐製品がぎっしり


もめん豆腐、おぼろ豆腐、ごま豆腐、がんもどき、油揚げ、厚揚げ、ひろうず、おから…


夕食は豆腐の煮ものに厚揚げのステーキ、ごま豆腐、赤だしの味噌汁。



精進モードです。


ちなみに赤だしの味噌汁はインスタントなのだが、天野フーズというお店の製品である。


少し前に流通関係の方と知り合いになったのだが、この天野フーズというお店の味噌汁は特別なフリーズドライの技術を持っていてとっても美味しいと伺ったので、買ってみたもの。たしかにお味噌の香りも、具材のきのこの香りも大変良かったです。



知人が東南アジアでの地雷撤去の作業に従事していたことがあるので、地雷撤去についてのニュースに関心がある。


ネットのニュースを見ていたら、竹やプラスチックを使った地雷撤去装置が考案されたとのこと。

従来にコストの数十分の一のコストで地雷が処理できる可能性があるとのこと。

【関連記事】
http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/pd16717ac374cdc7571f88b6d27b2a100



仏教伝道協会から頂いた布教冊子を読んでいたら、こんなことが書いてあった。



澤木興道老師という傑僧がある婦人会に招かれ、法話の後に婦人会の会長である年配の女性がおしぼりを持ってきて言った。「老師様、まことに結構なお話をありがとうございました。さぞかし嫁は耳がいたかったろうと思います」と。入れかわりに、若い女性がお茶とお菓子を運んで来て言うには「さぞかしお姑さんは耳が痛かったろうと思います」と。


肉眼は他の非が見える。
仏眼は自己の非に目覚める


とも書かれてあった。



この教会からは時々、布教用の冊子が送られてくるがあまり熱心な読者ではないのだが、今回はいつの間にか居ずまいを正して読むような良いお話が多かった。



著者は男性だと思っていたら、尼僧の方であった。青山俊薫師という方である。


ネットを見ていたら、この方の法話の抜粋が載っていた。良いお話なので引用させて頂く。


悲しみはあした花咲く―青山俊董「摂心日めくり法話」

悲しみはあした花咲く―青山俊董「摂心日めくり法話」


近頃とてもうれしい話を聞き、このせちがらい世の中、しかもこの寒空の中にあっても、私の心はカイロを抱いているようにホカホカと温かく、そのことを思い出すと思わずニコニコと顔がほころんでしまう。
ある研修会に講師として招かれ、三日間過ごした。もう一人の講師で、日頃から敬慕申し上げて来た米沢英雄先生が、休憩時間のひととき、煎茶茶碗を手でかこむように持ちながら、こんな話をして下さった。
「私の孫はね、運動がからっきし駄目なんですよ。走り競争をしてもいつもビリッコでしてね。この間の幼稚園の運動会でも、やっぱりビリッコを走っていたんだそうです。途中で孫の前を走っていた子供が転んだそうです。そしたら孫の奴、転んだ友達が起き上がって走り出すのを待っていてやって、まためでたくビリッコになったんですよ。親も親で、そのことをよろこんで話してくれましてね。ハハハ……」
さも嬉しそうに話して下さったおじいちゃん先生の笑顔が、今も私の心に焼き付いて離れない。人を蹴飛ばしてでも、先へ出ようとする人が多い今の世の中で、「あんた馬鹿ね!転んだのを幸いに追い抜いてゆけば、みじめなビリッコの思いをしなくてもすんだんじゃないの!」と言いかねない親の多い中で、その温かく、汚れなく、純なる心をそっと大切に見守り育ててやろうとしていて下さるご両親やおじいちゃんの姿は、転んだ子供が起き上がるのを待っていてやるお孫さんの姿と共にさながら天寿国曼荼羅を見る思いで、何とも嬉しいきわみである。
まじめに努力しながらも悪い成績をとって苦しんでいる高校生に、私はこの話をして励ましながら、更に言葉を添えた。
「一般世間のモノサシは、たとえばマラソンならいかに早く走るかとか、いかに能率良く仕事が出来るかというところにあるけれど、そうではない別のモノサシもあると思うのよ。兎と亀が走り競争をしたという昔話があるでしょう。亀が兎に勝ったというけれど、どんなに走っても、ふつうに走ったら亀が兎に勝てるはずがありません。兎が怠けて昼寝をしていたから、亀が勝つことが出来たのでしょ?そのことにどれだけの努力を払ったかというモノサシではかれば、ビリッコの亀が一番になり、それが仏さまのモノサシだという教えじゃないのかしら?一番二番と言う序列や結果よりも、その中味に何がもられているかということの方が大切、その過程が大切だということじゃないかしら。
ここでもう一つ考えておきたいことは、その努力の内容が、人に負けたくないと言うセリアイからの努力では駄目だということです。競争意識からだけの頑張りは、勝ったとき高慢になり、負けたとき劣等感にさいなまれて立ち上れなくなりますからね。又そういう努力のありようは長続きしません。疲れてしまいます。背比べせず、私の力なりに全力を尽くし、しかも結果は問わない、万一失敗しても悔いないという姿勢が大切なのよ。」(青山俊薫『法の華鬘抄』)



転んだ友達が起き上がるのを待ってから走りって自分はビリになる…そんな素敵な子供にウチの娘もなってほしいと思って読んでたら胸が熱くなった。




【追記】
Q様。なぜか貴下からのコメントが反映されていない気がします。コメントは拝読しておりますのであしからず。原因不明…







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