もうひとつの硫黄島 

今朝の気温はマイナス3度。



周囲の降雪は約10センチ。



兼務寺院に雪かきに行ったら降雪は約20センチ。標高が高いので降雪が多い。
数日、天候が緩むようなので、その間に雪が減ることに希望を託すことにしよう。





年末から年頭にかけてはアメリカのテレビシリーズ「ザ・パシフィック」を観る予定である。





プライベート・ライアン」「バンド・オブ・ブラザーズ」など史実に基づいた戦記を映像化してきたスピルバーグ監督が太平洋における日米の戦闘を描いた作品である。



スピルバーグ監督が太平洋における日本とアメリカの戦いをどのように描いたのか大いに興味あるところである。



「太平洋戦争」(Pacific War)という言葉はGHQによって作られた言葉である。



連合国占領期にGHQは「大東亜戦争」という呼称の使用を禁止し、代わって太平洋戦争という呼称を強制した。


太平洋というのは日米の交戦区域でしかない。




中国を含む広大なアジア地域でも日本の戦闘が行われたことを考えれば、かの大戦を指して太平洋戦争と称することが不合理であることは明らかだろう。




太平洋における日本軍の戦闘がいかなるものであったか。


硫黄島からの手紙 (特製BOX付 初回限定版) [DVD]

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クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」が高い評価を受けたことは記憶に新しい。


しかし、多くの日本人にとっても太平洋における対米戦争は圧倒的な火力に対し行われる無謀なバンザイ突撃、そして玉砕…或いは沖縄戦に於いて民間人の多くの戦争に巻き込み、死に至らしめた…



日本軍の太平洋での戦闘についてそういった印象を抱いている日本人は極めて多いのではないだろうか。実は私もその1人であった。



そうした中で、「硫黄島からの手紙」が持久戦を軸とした日本の果敢な戦闘を描写したことは、結果として硫黄島の戦史を掘り起こすことになった。


我ら降伏せず ―サイパン玉砕戦の狂気と真実―

我ら降伏せず ―サイパン玉砕戦の狂気と真実―


暫く前にサイパンでの戦闘を記録した田中徳佑「我ら降伏せず」(復刊ドッットコム)を手に取り、その言語を絶した悲惨な描写に胸が痛んだ。



読書でこれほど煩悶を感じたことは無い。



思いついては手に取り、数ページ読んでは瞑目するという具合で、遅々として読み終えることがなかった。




この「我ら降伏せず」を契機として太平洋における戦記を幾冊か読んだ。


ペリリュー島玉砕戦―南海の小島七十日の血戦 (光人社NF文庫)

ペリリュー島玉砕戦―南海の小島七十日の血戦 (光人社NF文庫)

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)

ペリリュー・沖縄戦記 (講談社学術文庫)

沖縄シュガーローフの戦い―米海兵隊地獄の7日間 (光人社NF文庫)

沖縄シュガーローフの戦い―米海兵隊地獄の7日間 (光人社NF文庫)


太平洋における戦闘の実際は私の予想とはかなり異なったものだった。



グアム、サイパンでの戦闘で明らかになったのは海岸線で防御する不利である。



圧倒的戦力のある米軍に対し、緒戦で防御することは不可能に近い。



それどころか自らの主要な戦力を相手に晒し、制海権・制空権を失ったままで艦砲と空爆の圧倒的火力によって粉砕されることの不利は言うまでも無い。



日本軍が新しく採用したのは水際での迎撃を諦め、内陸に長期の抵抗が可能な陣地を構築し、徹底した持久戦によって相手の戦力を減殺する縦深防御戦法である。



硫黄島に先行してパラオ諸島ペリリュー島では、この戦術が採られた。
当所、米軍が3日と予想したペリリュー島の攻略は70日に及んだ。



硫黄島は太平洋地域の戦史の中でも屈指の激戦と言われるが、ペリリュー島での戦闘はそれに匹敵するような熾烈な戦いであった。



日本人がどのように戦ったのか、私達はそのことにもう少し関心を向けるべきではないだろうか。


そして国難と言える時代に国を守ると為に戦った先人の心にもう一度思いを馳せるべきではないだろうか。


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