誕生日のことをおぼえていますか
相変わらず天候不順。
午後からは雪が舞い散る。
今度生まれ変わるなら京都府南部に生まれたいと思ったりする…
- 作者: いとうひろし
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2010/09/08
- メディア: 単行本
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よく娘に絵本を読まされる。
今日は「ルラルさんのたんじょうび」(ポプラ社)という絵本を読んだ。
ストーリーは簡潔だが絵が綺麗でどこかほのぼのした味わいがある。
主人公ルラルさんの誕生日を庭に住むいろんな動物達がお祝いしてくれるのである。
ルラルさんはこんなことをつぶやく。
「…みんなも たまには こんなこと おもわないかい。じぶんは、なんのために うまれてきたのかなってね。だけど そんなこと よく わからないよね。でもさ、どうやって うまれてきたかは、はっきりしてるんだ。なんねんか まえの きょう、 おかあさんがうんでくれたんだよ。わたしのおかあさんは もう ここには いないけど わたしが いま ここに いるのは おかあさんの おかげなんだよ」
庭に住む動物達も自分のおかあさんのことははっきり思い出せないのだが、ルラルさんにならっておかあさんにはなしかける。
「ありがとう おかあさん。 うんでくれて ありがとう」
数日前に久しぶりに熊木杏里さんの「誕生日」を聞いてしみじみ良い歌だなと感じた
両親だけでなく、周囲の大勢が祝福して産まれてくるとなんという素晴らしいことだろうかと思う。
少し話は変わるが、最近何人かの方をお話した、
幼い子供や配偶者の方を若くして亡くされた方である。
そういった方に対して何も慰める言葉が見つからないことがある
私の中に漠然とあるのは生命というのは不思議な存在であるということである。
当り前のように語られる生命の誕生という出来事が生物学的、化学的、生理学的に奇蹟の連続としか思えないような妙合によって営まれるということである。
そして多分、その生命を終えるという死の営みもまた生命の奇蹟の連続線上にあるのではないだろうかということである。
だがそのことを親しい、大切な人を失くして悲しんでいる人に語る言葉が見つからない。
そのことで時々もどかしい思いをすることがある。
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