眼から人魚の鱗がおちる
真言宗御室派の中山寺の御住職から著書を贈呈して頂き拝受した。
タイトルは「若狭の歴史と文化 ―中山寺との関連から―」。
(定価が無いので非売品かも。悪しからず…)
若狭の歴史、地誌、寺史、信仰など広範な知見が披歴されている。
パラ読みだがいろんなところにひっかかっては考え込むことしばし…
舞鶴の東半分は若狭の文化圏であり、さらには小浜〜舞鶴〜宮津に至る日本海沿岸の広範な文化圏を解明するヒントがたくさん見つかりそうな著書である。
- 作者: 邦光史郎
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1994/12
- メディア: 単行本
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ここ数年の関心のひとつが“丹の文化”。
日本には丹にまつわる文化があって、密教が大いに関わっていたのではないかと考えている。
次の箇所を読んで唸ってしまった。
人魚の肉を食べて八百歳の長寿を得たという八百比丘尼に関する記述である。
遠敷は、古くは「小丹布」とも書かれ、丹の産地であったという。丹は、川や井戸から採取された為、水の信仰と結びついたものと思われる。また、若狭は、人魚の肉を食べて不老不死となり、八百年生きたといわれる白(八百)比丘尼の生誕及び入定の地としても知られている。不老不死というのが、仙薬の材料である丹との関係を窺わせる。実際、丹生都比売神社の境内にある鏡ガ池には、白比丘尼の伝説が残っていることからも、若狭姫、丹生都比売、(稚日女命)・白比丘尼にはなんらかの関係があったことが想像される。
(お水送りの神事では赤土を丸めたものを舐めるという風習が残されているそうである。あきらかに辰砂=不死の妙薬と関わりが連想される。また水との関わりでは「若水」という特別な水が神聖視されたことが有名である。若水は恐らく生命を賦活される力があると考えられたのだろう。また丹は鏡を磨くマテリアルでもあった)
舞鶴にも「大丹生」(おおにゅう)「女布」(にょう)「二尾」(にお)など、丹との関わりを感じさせる地名が少なからずある。
遠敷(おにゅう)の地名が「丹生」(にゅう)に由来することは自明だが、丹は不老不死の妙薬としての一面を持ち、これが八百比丘尼の伝承に結びつくとは思いもしなかった。
だが考えてみれば全くと府に落ちるではないか。
不老不死となった八百比丘尼は小浜の空印寺で洞窟の中に入ったとされるが、その姿はどこか高野山の奥の院で入定されている弘法大師のお姿とオーバーラップするものを感じる。
神宮寺、多田寺、妙楽寺、羽賀寺、谷田寺、明通寺、中山寺、飯盛寺…
いずれも八世紀から九世紀に遡る古代寺院である。
高野山を始め、密教の古層には丹の文化があることは間違いない。
そのことがこれらの古代寺院とどのように関わるのか…
浦島太郎もかぐや姫も実は不老不死が隠れたテーマである。
浦島伝説も丹後が発祥の地とされる。このこととどうつながっていくのか…
関心は尽きないのである。やはり歴史を自由気儘に考えるというのは面白いものである。
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