胎動の季節
本日は彼岸の中日。
17日から始まった松尾寺の彼岸法要への出仕も本日で無事終了である。
雪の無い冬は有難かったが、いつまでも寒さが後を引く。今晩から明朝までは降雪との予報である。
今年は水仙の咲くのも少し遅い気がする。
それでもそこかしこに水仙の鮮やかな緑の葉を見ると春の足音を聞くようである。
春というのは胎動の季節である。
わが家の娘も幼稚園に入園の予定。
暫く前まで「幼稚園なんか行かへん!」と断固拒否の姿勢だったが…
最近、何故か風向きが変って、通園バックを背負って、制帽をかぶったりしてそわそわし始めた。
最近は「幼稚園ごっこ」なるものも始めた。妻が幼稚園の先生役で私が園長先生…
昨晩も“幼稚園ごっこ”をしながら寝かせるつもりが…
自分が先に爆睡モードへ…(←いつものパターン)
私にも少し胎動の兆し。
溜まりにたまった蔵書をどんどん捨て始めたことである。
帰省して10年近く放置していた“事業”である。
近所のスーパーに雑誌や書籍を持ちこめる場所があって、大きなコンテナに自由に投入できる。毎回段ボールの5箱、10箱と本を捨てるが、自分がいかに物に執着していたかまざまざと見せられる思いである。何しろ高校生の頃買った雑誌まで出てくるのだから…
この本は思い出があるとか、古本でも結構いい値段が着くとか言い始めると何も作業できないので思い切りよく捨てることにしたら、それがちょっとした快感であることに気がついて作業がはかどり始めた。
掃除を始めるといつも感じるのだが、掃除され、整頓された空間に、表面的なこと以上のものを感じることある。
敢えて表現するなら“気の流れ”のようなものが変るのである。
それと同期して自分の中でも何かが変るという感触がある。
昔から仏教では修行の一環として掃除することが重視されてきたが、掃除といえばごく日常的なことのようだがやはり奥が深いと感じるのである。
物事が上手くいかない時は、自分の身の回りを掃除し、整理整頓すると良いと思う。
ただどんなに価値が無いように見えても自分の物で無い物(例えば家族の持物)は処分すべきではない。
必ずトラブルになるからである…
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