お見舞い 手抜きカレー ミイラと即身成仏


境内のモクレンに綺麗な色のつぼみがふくらみ始めた。



お盆を過ぎたが、屋内に入るとひんやりと冷気を感じる。







午前中、檀家さんの入所しておられる介護施設にお見舞いに行った。



ここ2年ほどお逢いしていないのが気になっていたので、思い切ってお見舞いにいったのである。



お元気そうだったのは何よりだったが、もう私が誰か理解できないようだったので少し寂しい気がした。



私のことをいつもお世話されている親族の方と思っておられたようで、「えらく短く散髪したね」と言って私の剃髪した頭をニコニコしながら何度もなぜておられた。



お見舞いのお菓子をもって行ったのだが、施設ではそういったものは渡してはいけないらしかった。少々迂闊であった。



大部屋に居られて、他の方とも仲良くしておられると聞いたのでお菓子の大箱を持って行ってしまったのである。処置に困った。







母も妻も外出していたので昼食はカレーを作る。



カレーといえば炒めた玉ねぎだが、最近は皮を剥いた玉ねぎをざっくり切ったあと、水とブレンダーにかけてジュースにしている。それから少々ズルイがインスタントコーヒーを少々。これで玉ねぎを炒めるというプロセスは省略(笑)かなり時間を省略できる。トマト缶の代わりに濃厚系の野菜ジュース(『野菜一日これ一本』など)をたっぷり入れてから他の野菜を煮込む。本日はキノコ3種、白菜、キャベツ、ジャガイモ、ピーマン。タマネギのとろみがかなりいい感じである。








本日のNHKスペシャルは「完全解凍!アイスマン 〜5000年前の男は語る〜」。



5000年前のミイラから一体どんな事実が解明されるのか。



日本には特殊な修行法として生きたままミイラに移行する即身仏という存在がある。



密教における即身成仏と関係が深い。今でも「即身仏」と「即身成仏」を混同して使っている人がたまにいるが本来は別のものであるが、複雑な経緯し混交されていったようである。



肉体が永続することが即身成仏では無い。



ところがいつの間にか肉体の不壊をもって即身成仏という誤解が生まれたのかもしれない。




密教では金剛という言葉が良く出てくる。



金剛のひとつのイメージは「不壊(ふえ)」である。



壊れない、腐らないという性質がどうも肉体の永遠性という信仰につながったのかもしれない。ここらあたりは最近、かなりしつこく書いている“丹”の問題と重なってくる。




湯殿山には17世紀から19世紀に入定した6体の即身仏が現存しているがその法名には「海」の字がつけられている。このことは高野山で入定されている空海の御名に由来するのだという。


この信仰にはもうひとつの側面がある。生きながら葬られた者が再生するという信仰である。



弥勒菩薩は遥か遠い未来に現れて人々を救済するとされる。



この身を留めるという特殊な信仰はこの弥勒菩薩への信仰ともつながっているとされる。



宗教が深い、暗い洞窟のように見えることがある。



多くの人の、激しい情熱や衝動が積り、渦巻いているようで、言葉を失うことがある。



それを是とすべきか否とすべきか、まだ考えあぐねている。



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