ミックスキムチに挑戦 小さい悩みの件 お経みたいな
老僧夫婦が白菜を作っているのですが、この時期結構持てあまします…
キムチができたらいいな…と考えていたら、近くにスーパーでキムチの素なるものが売られていました。
白菜だけでは面白くないので他の材料も投入することにしました。
カクテキが美味しいのでやや薄切りにした大根を軽く水にさらしたもの。
それから外食した時に出された山芋のキムチが美味しかったので生の山芋少々、さらに椎茸の小ぶりのものがあったので軽く蒸してたもの。
計4種類の素材でキムチを作ってみました。
タッパーにはいって冷蔵庫で熟成中…
さきほど試食したのですがキムチ風味の浅漬けみたい。
美味ではなくビミョー…
何か一味足りません。
初挑戦なのでこんなものでしょうか。方向性は悪くないと思っているのですが。
密林を除くとキムチの素だけでいろんな種類があります。
キムチの素があれば、キムチチャーハンとか韓国風の豆腐鍋などが簡単にできるでしょう。
暫く楽しめそうです。
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昨年何回か地元の新聞にお寺の広告を出して貰ったのですが、掌くらいのサイズで1〜2万もするって高いな…と思っていました。
暫く前に古い知人にあったのですが、会社を経営しているというその友人がふと…
「昨年は経費削減のため広告の費用を3000万ほど減らしました」
と何気なく言われたので…
自分の悩みがいかに小さいか理解できました(爆)
女優で劇作家の渡辺えりさんのインタビューを読んでいいたら、演劇界では一本調子で気持ちの入っていない台詞の言い方のことを…
「そんなお経みたいな話し方はしないように」
と言うと書いてあって苦笑した。
私などは転調のように流れが変る部分を結構感じるのだが、一般の方に分かりにくいのは仕方がない。
ただ演劇的な要素が入ると、分かりやすいかもしれないが、そこに意識がいってしまって、読経する僧侶が悪い意味で自分を出すという方向へ行きそうである。これはあまり良いことではないと思う。
むしろ私が問題だなと感じるのは、かっては人々の共通の感覚としてあった“有難い”という意識がなくなりつつあることである。
先日、御利益があるという某寺のお地蔵様がニュースで流れていた。
ひっきりなしにお参りがあるのは結構だが、参拝者がニコニコ笑いながら、とても軽い調子でお地蔵様の頭を撫ぜているので少しびっくりした。
仏の顔も三度というが、何か祈願することがあってお願いする仏様の頭を軽々しく撫でるというのはちょっと理解できないのである。
(世の中は広いので、それが作法として決まっているならともかくだが)
神仏に対する畏敬や荘厳という感覚がどんどん薄れている気がするのである。
それは多分あまり良いことではないと思う。
人間が神仏を対等になってしまったら詰まらないと思うのだが。
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