舞鶴の街かど  郷土の偉人 野田笛浦

 
【花日記】

シャガ咲く。盛りを終える。
野菊盛り。
銀杯草咲き始め。


本日、気温は32度まで上昇。
とうとうセミが鳴き始めた…気温が高いので羽化したらしい。


カエルは毎日元気に鳴いている。
夜、カエルの合唱を聞きながら眠りにつくのは心地よい。





地元がテレビに映るのは楽しいものである。


本夕、「かんさい情報ネットten」の「お宝発見!街かど★トレジャー」200回記念では地元東舞鶴の商店街がたっぷり放映されてました。


同級生だった写真屋さんの女の子の元気なお姿も拝見。


判子屋さんのボケっぷりも良かった(笑)


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田辺藩舞鶴)で生まれ、家老などを務めた野田笛浦(1799〜1859)の漢詩集が自費出版され、私も贈本して頂いた。


笛浦は13歳で江戸に遊学。昌平坂学問所で学び、学業に秀でた模範的存在であったらしい。
今ならさしずめ東大主席卒業というところか。


28歳の折、清国の商船が駿河清水港に漂着し、幕府から通訳に任ぜられた。
清国の商船を長崎に護送するにあたり、中国の商人・学者と筆談し渡りあった様子を記した「得泰船筆語」が出版されて名声を得る。


江戸時代の漢詩人として有名なのは頼山陽、広瀬淡窓、僧月性などだが、この僧月性は「近世名文家鈔」の中で江戸後期の四大文筆家の一人として笛浦を挙げている。



笛浦は郷土出身の偉人としてもっと足跡が知られて良い人物である。




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