雨音 悲しみを埋めるもの
真夜中に耳慣れない音を聞いたと思ったら雨音だった。
本日も朝から雨が降る。一体どれくらい久しい雨だろうか。
雨音を聴くのが嬉しい。
セブンイレブンで買い物をしたら、アルバイトらしい初老の女性が「ようやく雨が降りましたね」とにこやかに声を掛けて下さったのが新鮮だった。
法務というのは全く無い時期が続くかと思うと突然重なり始める。
ここ数日は法務が重なった。
最後に法事が1件。
疲れがたまっていよいよ頭が回らなくなっていて、改良服から色衣(法事用の僧衣)に着替えようとして改良服を脱がずにその上から色衣を着ていたことに気がつき焦る…もちろん途中で気がつきましたが…
明日の午前中は頭を休める予定。倉庫から何冊か本も持ってきたので読書にふける予定。
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飼っていたコーギー犬が亡くなって随分時間が経つ。
勝手口からでると尻尾をふっていた姿を時々思い出す。
どうかするとこのコーギー犬がものすごい爆音で鳴き始めることがあったので、
子供が小さいうちは、寝ている子供を起こさないように、そっと裏口から出た。
その感覚がまだ残っていて、時々音のしないように勝手口の引き戸を開けようとして
もうコーギーが居ないのだ…と気がついて、ふとしんみりとする。
それは何ともいえない寂しいという感覚である。
科学的な知識が全く無いので全く見当はずれな比喩かもしれないが…
太陽系の周りを回っている惑星のひとつが突然無くなったとしたら…様々なバランスが一挙に崩れ始めるのではないだろうか?
存在しているものが突然無くなるというのは、調和していた状態から不安定の状態への変化することである。
“在るということ”は、積極的に何かを為していなくても、それが在るということで
眼に見えない支えとなっていることがある。
その眼に見えない支えが実はとても大きなものであり、
私達はそれを失うことで大きな喪失感を感じるのではないだろうか。
親しい存在を失うというのはまさにその支えを失うことなのだと思う。
相手の深い悲しみに対して慰めたり、励ましたり、“偉い人の言葉”を引用してみたりするよりは、ただ寄り沿うこと、相手の言葉に耳を傾けることしかできないと感じることがある。
その時、悲しみに対して寄り沿うというのは、
失われた存在に代わる存在として、“在るという働き”を果たそうとすることだと考えると分かりやすい気がする。
失われた誰かの代わりを黙々と果たすことである。
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