よき雨の降る日  「ヒンドゥー教」

昨日より雨が続く。




農業されている方によれば“しとしと”と降る雨が良いのだそうだ。



強雨では地面にしみこまないとのこと。




ここ3日間の雨はまさに良雨である。




何年か前、雨の日に車で田舎の田んぼ道を走っている時、車のラジオからジョン・レノンの“イマジン”が流れてきた。



植えられたばかりの稲の苗の緑が雨に打たれる姿と“イマジン”の音楽が重なって、脳みそを洗われるような心地良さだったのを思い出す。


ヒンドゥー教 (講談社現代新書)

ヒンドゥー教 (講談社現代新書)



密林で仏教系の古書を2冊買ったら久々に大ハズレ(涙)



そのかわり蔵書を整理中に出てきた「ヒンドゥー教」(講談社現代新書)をパラ読みしたらかなりいい感じだった。



こちらはかなりまっとうな本。



新書だが情報の少ないヒンドゥー教を整理し、まとめている。



やはり関心があるのはヒンドゥーと仏教の関係であろうか。




インドの伝統的な考え方に四住期がある。


四住期とは人生の理想的な一生である。



第一期は学生期(がくしょうき)。訓練の教育の期間である。
第二期は家住期(かじゅうき)。一家の主人として、社会的な地位を獲得し、継嗣を為す。
第三期は林住期(りんじゅうき)。俗世との縁を断って森に退く。
第四期は遊行期(ゆぎょうき)。隠者としての生活。


お釈迦様が息子であるラーフラが生まれてから家を出られたのは、継嗣を為すという務めを果たされたからではないかと思っている。


つまりお釈迦様というのは子供がいるのに家出した「あんまりな父親」ではなくて、


継嗣を為すという勤めを終えて、次のステージに進まれたと理解したい。



林住期はお釈迦様の修行期間であり、悟りを開かれた後の布教活動は遊行期といえるかもしれない。



お釈迦様の生涯はまさにこの四住期を体現しておられるように思う。


仏教というのは独立した教えというより巨大なインドの精神文化の流れの中の支流としてあったということである。


仏教の思想は仏教以前に盛行したウパニシャッド哲学と深い関係にあるとされる。


ウパニシャッドでこの世を幻とみる考え方は仏教の“空”“無”と酷似している。


ウパニシャッドの中心思想であるブラフマン(“梵”、絶対者)とアートマン(“我”)の合一とは


密教の『入我我入』(如来と修行者がひとつになること)と殆ど同じことを指しているように思う。


(ちなみにヨーガという言葉の語源も精神の統御や集中であるが、その背後にはやはり絶対的存在と自己を結びつけることを指しているように思う)




密教は仏教の歴史の有終を飾るという考えたがもあるが、密教のエッセンスは原始仏教に既に偏在しているし、さらには仏教以前の様々な精神文化とリンクしている部分が少なくない。その辺りをもう少し明快に整理してみたいと思っているのだがなかなか果たせずにいる。





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