ほとけさまのサイン 0で説く観音様 謎の馬頭観音
天台宗出版室から「ほとけさまのサイン」という本を献本頂いた。
著者は現龍院住職の浦井正明氏である。
如来、菩薩、明王、天部…様々な仏様が約50項目にわたって整理されている。
仏像というのは大変に数が多いし、
その由来や職能については未知のことが多いのでとても興味深く拝見している。
当山にある深沙大将のお写真を提供したのが機縁となって頂いたのだが、
深沙大将といえば般若十六善神という仏画に描かれることが多い。
多くの場合、十六善神の手前に玄奘三蔵と深沙大将が配されている。
私はてっきり深沙大将も十六善神の一体だと思っていたら、この本には十六善神に梵天、阿難尊者、玄奘三蔵、深沙大将が加わっている…と書かれてあってちょっとびっくりした。
よく考えれば玄奘三蔵を“善神”と数えるのはおかしな話で、
言われてみればもっともである。
- 作者: 今木 健之
- 出版社/メーカー: セルバ出版
- 発売日: 2012/01/24
- メディア: 単行本
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昨年、本屋で「0で説く観音さん」(セルバ出版)という本を見かけた。
地元の松尾寺や馬頭観音についての記述があったので手にとったのだ。
密林で古書を買ってみたらかなりがっかりするような内容が書いてあった
「0」(ゼロ)を空と解釈して観音様の説明を試みられているのだがかなり牽強付会…
仏教の根本概念である空(シーニャ)は数学的にはゼロを意味する言葉である。
(もし「空」ではなく「零性」というような訳語が生まれていたら仏教の理解はまた違っていたかもしれない)
だが本書には正直言って何が言いたいのか分からない部分が多い…
なぜこの本に引かれたかというと方位について書かれてあったからである。
往時の人々にとって方位というものが大変に重要であったらしい
現代ではその視点が欠けているので私達が見落としていることがあるのではないかと思っている。
(吉野と丹後の関係も方位が多いに関係している…はずである)
馬頭観音は頭上に馬を頂いておられる。
馬=「午」(うま)であり、午は方位に配当されると南方の真南にあたる(時間では正午)という指摘はかなり眼からウロコだった。
この記述だけでもこの本を買った価値はあると思っている。
著者によれば夜の嵐に対してその対極が昼なのだという。
暴風雨の夜の反対が波の穏やかな昼(正午)なので海難守護なのだそうだ。
やっぱり…ここらへんはかなり…飛躍があるのでは…
ただし、面白いことに気がついた。
ものすごく基本的なことだが観音菩薩の浄土は南の彼方にあると信じられていたということである。
ということは観音信仰にとって真南を指す午(馬)が特別な存在であるというのは至極尤もなことではないだろうか。
静と動 理と情 柔と剛
馬頭観音の荒ぶるお姿というのは観音像としては極めて特異である。
馬頭観音様は菩薩様でありながら穏やかではなく、明王のような猛々しいお姿である。
(時に馬頭明王とも呼ばれる)
当山の本尊である波切不動明王は利剣を下ろし剣先で海波を切り鎮める形をとっておられる。
やはり海難守護の効験があったとされる。
中国に渡られた空海様が日本への帰路、嵐に遭遇されたが、その嵐を鎮めたのが波切不動様であった。
馬頭観音様が海のそばに祀られ、そのお姿が明王様のようであるというのは、
波切不動明王が海のそばに祀られたこととよく似ている。
荒々しいお姿というのは大きな困難を砕破して大願を成就させようとされるのではないか。
その困難とはやはり海難と考えるのが妥当だろう。
もうひとつ面白いのは馬の属性が<食べつくす、飲みつくす>ということであるらしい。
牛飲馬食という言葉があるが、馬というのは良く食べる生き物であるらしい。
馬頭観音は私達の煩悩を喰らい尽くして下さる…と説明されることもある。
つまり馬というのは荒れ狂う海の暴威を、その属性によって調伏するシンボルだったのかもしれない。
馬頭観音については他にも気になる点がある。
馬は方角を知るというところから海上守護に配当されたという説も聞いたことがある。
これも大いにありうる。
さらに…
海難に逢って、進退窮まることの真逆とは馬に乗って駆け、速やかに目的地に至ることであろうか。
馬にまたがって駆けるがごとく安心立命を果たす。
速やかに目的地に着くという意味でも馬というのは象徴的な意味があるように思う。
ほとけ様の示しておられるサインを正確にキャッチするのはなかな難しいのである。
それを明らかにしていく作業はもつれた糸を解くような面白さがある。
馬頭観音を本尊とする青葉山は不思議な形をしていて、
若狭方面からは綺麗な円錐形に見え、舞鶴市街からは2つの頂きが重なったように見える。
これを馬の耳になぞらえることもある。
松尾寺を開基された威光上人はこの山が中国の馬耳山に似ているとされた。(韓国にも馬耳山がある)
さらに最近気がついたのは、大波下の交差点付近から見ると、青葉山の山容は真ん中が高くて、両側がやや低く、三尊仏のように見えるのである。
数日前に兼務寺院の多禰寺から帰る途中に見上げると中腹を白いガスに覆われた3つの頂きが何とも在り難いような姿に見えた。
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