日常よ止まれ
ここ一月半ほど何故か忙しい。
体感的には普段の3倍くらいの法務があり、
酸欠気味の金魚みたいにアップアップしている。
だが法務が多くて忙しいとされるお寺の御住職方のお顔を思い浮かべると、
いつもこんな多忙な日常を送っておられるのか…と改めて敬意を感じずにはいられない。
のんびりするのは得意だが忙しいのは苦手である…(溜息)
もともと要領が悪いところに加えて多忙で頭がいよいよ回らなくなり、ケアレスミス連発である。
先日は独僧の葬儀で時計を忘れて時間配分ができなくなり…
葬儀が終わってみれば葬儀の時間が3割も長くなって出棺が遅れた。
ホールの担当者がかなりあきれていたような…
本日は葬儀→年忌法事→逮夜法事という流れで、かなりハードな一日。
暑さもあって少々バテ気味だったが、
最後の逮夜法事を終えてお寺に帰るとかなり達成感があった。
本日の葬儀は午前中だった。
朝、少し早く起きて朝食代わりに生姜入りのチャイを飲んでいると
鳥のさえずる声と朝の冷気がキッチンに流れてきた。
そして耳をすませると虫が鳴いていた。
まだ盛夏にもならないのに虫たちが秋の予感を告げている…
葬儀の前だったせいもあり、人生の無常感のようなものが感じられた。
葬祭ホールに着いて多くの会葬者を見ていて、ふといろんなことを考えた。
私達は忙しい日常生活を生きている。
眼前のことで心をいっぱいにして生きている。
だが葬儀となれば駆けつけるというのが日本人の慣習である。
いわばそこで日常が止まるのではないか。
葬儀に会して、人生の無常や有為転変を葬儀の中に観じ、自己の人生にどれだけの人が投影されるだろうか。
誰しもが自分の死に切実な感慨を持っていない。
だが、葬儀を通じて自分の生と死を見つめてて頂ければそのことは故人にとっても功徳になるのではないだろうか。
葬儀の後、5分くらい法話することにしているが、
そんなことを少し述べたら前列の年配の女性がしきりにうなずいて聞いておられた。
一人でもつたない法話を一生懸命聞いていただき、人生の無常感を感じて頂けたかとちょっと感激した。
葬儀の後、その女性が他の会葬者とお話されているのを見かけるとしきりに大きくうなずいておられた。
どうやらうなずくのはその方の癖らしかった…人生の無常を観じて頂くのは難しいものである(苦笑)
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