残暑見舞い 猿の耳に念仏 ご先祖様はどこにいる
金剛の露ひとつぶや石の上 川端茅舎
残暑お見舞い申し上げます
お盆の間に遠方から頂いた御品や暑中見舞いにようやく残暑見舞いを書いている。
お盆が終ったと実感…
先日、地元の農家の方に伺った話。
猿が頻繁に出没する地域で猿が一列に並んで、手をこすり合わせていた。
まるで何かを拝むかのように…
猿が立ち去った後を見るとそこは田んぼの端で沢山の籾殻が落ちていたそうである。
猿は手のひらの間に穂を挟んで脱穀してから米を食べていたというのである。
今年は例年より少し稲の実るのが早い。
周囲でも既に刈り取られた田もある。
炎天下の稲刈りはさぞ大変だろうと思わずにはいられない。
お百姓さんはご苦労だといつも思う。
知人のブログを見ていたら、面白いことが書いてあった。
端折って言うと…
お盆にご先祖様は家に帰ってきているのになぜ、お墓に参るのかということである。
なるほど…
お墓はもぬけの殻なんじゃないかということですね(笑)
そうなると普段、お仏壇の先祖代々のお位牌に手を合わせるのは何故か…という疑問も出ますね。
普段はご先祖様はお墓にいるのではないかということになりますから(笑)
日本人の多くはお盆にご先祖様が帰ってくると考えました。
そのためにお迎えの灯りをともしたり、地域によってはお墓で線香をともしそのまま自宅に歩いて帰ってきて、その煙に乗ってご先祖様が帰ってくるという場合もあります。
簡単に言うなら先祖とは心をこめて供養する気持ちを持つことで、通じ合うことができる。
先祖とは感応せる存在であるということである。
それがお盆中のお墓であれ、普段のお仏壇であれ、先祖に心を向ければ、ご先祖様や故人につながると思います。
お盆という期間に日本人全体が先祖への供養を志すことは
先祖を供養するという意識を持ち続けるうえでとても大事だったのでしょう。
お墓、仏壇、位牌、遺骨といった特別な場があり
お盆という特別な刻(とき)があることで人々は祖先に心を向けることができるのだと思っている。
そして日本人がお盆にはご先祖様が自宅に帰ってくると信じたことは日本人の死生観に大きく影響したと考えられる。。
死は恐ろしいものではない、お盆にはまた家族の許に帰ってくるのだと信じたことは死を穏やかに受容させたであろう。
自宅の大切さ、家族の大切さ、先祖を祀ることの大切さ…それらが渾然となって日本人の意識に様々な影響を与えてきたにちがいない。
そしてこれらがかなりの速さで失われつつあることは日本人の意識を変えるに違いない。
お盆はいつまで続くのだろうか…
霊棚の奥なつかしき親の顔 去来
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