川の流れのように

 


【境内を流れる川も増水していた】


本夕になって雨もひと段落。



ここ数日の降雨はかなりの規模だったようだ。






自分の大小の失敗の経験を振り返ってみると


問題が大きくなる以前に、小さな兆候のようなものが必ずあるということに気がつく。



そのことに気がついて方向を転換できていればよかったのに、
それが出来なかったかったばかりに大きな失敗に直面してしまう…という経験を何度も味わった。



注意深さ、洞察力、謙虚さといったものが必要なのだろう。



流れがあるという意識があれば、そのことにもっと早く気がつけたかもしれないと思うことがある。




もうひとつ反省を込めて考えたことがある。



それは私が自分のやりたくないことはやらないというかなり極端な性格のためにやるべきことを先延ばしにしたり、中断したりすることが多いのだが、これは流れに関していえば逆行していることになるということである。



折角、良い流れができているのにその流れを断ち切っている部分があるのではないかということである。



もちろん性急すぎて、機の熟さないうちに物事に取り掛かって失敗するということもあるだろうが、私の場合は、取り掛かりが遅かったり、中断したために物事がうまくいかないことが圧倒的に多い。



自分の好き嫌いの感情や欲というのも大きな失敗の原因であることが多い。


自分の中に好き嫌いや欲があるのは誰しもだが、


眼の前に起きたことを全て自分に都合の良いように結び付けてしまうということで失敗につながる…これもいくつか苦い経験があある。




“流れ”というのは個人の運勢だけでなく時代や地域によって様々だろう。



現在は世界も日本も大きく変ろうとしている時代のように思える。



間違いなくこの時代に何かの方向性を感じる。



私たち自身が運命として背負ってきたものもあるだろう。



運命は存在せずに人間は意のままに生きられる存在だとは思っていない、
その一方で定められた運命という流れの中で自らが懸命の努力をしていきたいとも思う。


心を研ぎすまし、流れを見極める…そんな風になれたらよいなと思うのだが。

 
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