あなたに似た誰か 撃墜王の記録 動物慰霊供養

 


久しぶりの快晴。

空がニッコリと笑っているようである。

それでいて秋空特有の染み入るような感じがある。

【今年はこのユリをよく見かける】

【田んぼのイネが倒れています。
こうなると本当に刈り取りが難しいそうである】



昨晩、娘が熱を出したが、朝方は平熱だったので幼稚園に送りとどけたら、


昼過ぎになって発熱したという連絡を受けたので向かえに行った。


クラスの出口にカバンや水筒一式を持ってたたずんでいたので手をつないで帰ろうとしたら、教室の中からおでこにヒエピタを貼った娘が出てきた…

「???」

自分が連れて帰ろうとしていた子供が…


別の子供だと気がついて慌てました!


園の制帽がかなり大きくて、
大人の目線では殆ど顔が見えないので(←言い訳)

勘違いしたのである。


あやうく不審者情報として舞鶴全市にメールで配信されるところでした…

ちなみに私はよくそそっかしいと言われます。




坂井三郎 空戦記録

坂井三郎 空戦記録

「坂三郎空戦記録」上下巻をあっという間に読み終えてしまった。


秋空のような爽快な読後感である


それまで読んだ戦争記録のもつ重さや厳しさから少しだけ開放された。


ここに書かれてあることもまた戦争のひとつの真実なのだろう


空戦200回以上闘い、64機を撃墜したという不世出の撃墜王の記録である。


坂井氏は子供の頃、大変な暴れん坊だったという



小学校時代の代用教員が大変に厳格で、沢山の宿題を出し、それが出来ないと殴る蹴るの制裁を加えた。


学年の生徒全員がその先生を嫌っていたが、ガキ大将であった坂井少年は他の子供達とはからって授業放棄のストライキまでしたという。


その後、坂井少年は東京の中学に進学した後


頻繁にその代用教員から激励の手紙がきた。


手紙には「おまえの机だけは誰にも座らせず、そのままにして今でも教室に置いてある」
と書かれたあった。


大変に厳格な先生だったが心底では自分に愛情を向けてくれていたこと気がついて愛情に泣けたとあった。


体罰についての議論が盛んだが、心底に愛情のある体罰はどのように見分けたらよいか、大変に難しい問題である。




私は生きのびた!
高度一〇〇〇メートルで島の直上に引き返す。
空は静かになった。私は見るともなしに海を見下ろす。すると海面に無数の黒ずんだ丸い形が見える。飛行機が墜ちた跡だ。海面に浮かんだ油の文様である。一つ……二つ……私は数える。余り多くて数え切れない。しかし私は努力して数えた。とうとう七十幾つを、私は数え上げた。
 この数十分の出来事が、この七十幾つの弔いの花輪を海に浮かべたのだ。物悲しい夢を見るような、なぜかぴったりとした現実感がない。考えてみると敵もよく堕ちたが、味方もまたよく堕ちた。ほとんど半数が落ちたことになる(実際には零戦隊の被害のほうが遥かに多かったことをあとで知った)
私は文字どおりのフラフラの状態で、下の飛行場へ着陸した。私の着陸が最後だった。
大勢の搭乗員や整備員たちとともに、飛行隊長の中島少佐が駆けてくる。
「やあ、坂井少尉だったのか、今のは……よく逃げられたもんだなあ、さすがだ!十五対一だったぞ」                    

 「坂井三郎空戦記」(下巻)



坂井氏がグラマン15機を相手に単機で闘った部分の記述である。


鎮魂の雰囲気のある文章に感じるものがあった。






本日は関西野生生物研究所からの依頼で野生生物の慰霊供養の法要を修した。


鳥獣の駆除に関わる行政の方にも参列していただき有意義な法要だったと思う。


野にあっては私達の耳目を喜ばせる鳥獣も、人間の都合により狩られる、真に哀れな存在である。



例えひと時であっても私達人間が慰霊の一念を捧げられたことは幸いだったと感じた。


                                     合掌


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