もっと凄い説法 「沢木興道聞き書き」

本日は中秋の名月

台風一過の澄んだ空に綺麗な満月が掛かっていた。







昨晩は久しぶりにお逢いした若住職さんと会食。



本が大好きな和尚さんで話しを始めたら止まらなくなり、



気がついたら6時間近く経っていた…



女子会並みの長丁場でした(苦笑)



時間を忘れて好きな本の話をするという楽しい時間だった。



先日、あるお寺を訪れたら、山門から玄関までの敷石が丹念に掃き清められていて、
それを見ただけで、このお寺のご住職のお人柄が偲ばれた。



そのことを若住職さんに話したら


「伽藍説法ですね」と言われた。


確かに伽藍を見ただけで何かを伝えるというのはやはり大切なことであり、素晴らしいことである。


ちなにみウチの伽藍は…


無言のままです…何も説法してません。



市内のお寺に行くと私の何倍も法務をされているようなご住職が行く度に作務されていて


それを見るたびに感じるものがある。


これもまた説法のひとつなのだろう。


言葉だけでなく、履物の脱ぎ方ひとつ、食事の所作ひとつに内面が現れていればそれが説法になることもあるのだろう。



沢木興道聞き書き (講談社学術文庫)

沢木興道聞き書き (講談社学術文庫)


本棚を整理していたら「沢木興道 聞き書き」が出てきた。


沢木禅師は近代最高の禅僧の1人に数えられる。


妻帯せず、寺をもたず、清貧に甘んじ、禅に打ち込む姿には胸が熱くなるものがある。


若住職にこの本をお貸ししようと思いながらパラ読みしはじめたら、
ついつい引き込まれてしっかり読んでしまった。



聞き書きなので口語でかかれ大変に読みやすいが含蓄を感じる。


噛むほどに味のある玄米のような文章である。


このなかに伽藍説法よりすごい話が載っていた。


お釈迦様の十大弟子の一人に舎利佛(しゃりほつ)という尊者がおられる。



この尊者が遊行されている途中、かがんで用を足されていたら、
通りがかりの男がその姿を見て有り難さに感じ発心したという。



排泄する姿まで有り難い…これなどは究極の説法かもしれない。


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