舎利子よ 半沢ブーム 古本を捨てるように

 



本日は彼岸の入り。


カレンダーでも見ていたかのように一斉に彼岸花が咲き始めた。


田野に咲く鮮やかな朱の彩りが美しい。



前回、舎利佛という釈尊の高弟について書いたが、この方は舎利子とも表記される。


「般若心経」に何度もでてくる「舎利子」という呼びかけの言葉はこの方のことを指している。


舎利子はサンスクリットではシャーリプトラ。


シャーリーとは「鷺」を意味し母の名前である。プトラは子供のこと。


「鷺家の子供」の意味である。(『シャーリーさんちの子供』?)



中国語には「椅子」「帽子」のように単語を整える『子』字の付くものが多いが、この場合は『子供』という意味ではない。


私は「舎利子」の「子」はこっちのほうだと思っていた。


舎利佛の『佛』も仏弟子の意味ではなくて「プトラ」の音訳のようである。


仏教の人名は、サンスクリットパーリ語、漢訳語などが複雑に絡んでいてしかも音訳、意訳がかぶってくるので大変にややこしい。


仏教用語は難しいのである。





全然、話は変りますが、最近夫婦で「半沢直樹」観てます。


フランス系の動画サイトで「デイリーモーション」というところにこれまでの放映がアップされている。


特に奥様の熱の入り方がハンパではありません。


怖いくらい…



私も調子に乗って「住職マターの案件」とか言ってますが。



奥様はとうとう堺雅人氏の著書まで買っていました。


というわけで我が家には「あまちゃん」と「半沢直樹」という2大潮流が渦巻いております。


文・堺雅人 (文春文庫)

文・堺雅人 (文春文庫)


車で彼岸のお参りに行く途中、ふと「断捨離」について考えた。



今年に入ってから死蔵していた本を処分したが、捨ててしまえば、自分がどうでもよいものを随分と後生大事に抱え込んでいたことが痛感された。


それにしても、私達が心の傷だと思いこんでいることも何とか捨てられないものだろうか。



私達というのは随分執念深く自分の心の傷を抱え込んでいる。


それらも古本をゴミ箱に入れるように投げ捨てられたらどんなにかすっきりするだろうか。


私達は傷ついたと思っているが、案外私達自身が後生大事にその傷を抱え込んでいるのかもしれない。


そのことに気がつくためにも余分なものを捨て、離れていくことは心を鍛えるにはとても良いワークなのだと思う。



もうじき大きな福祉系のバザーがあるのでそちらにも少し物品を出してみようと思っている。


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