人生は遍路道

 



朝、新聞を読むのはささやかな楽しみである。


購読しているのは産経新聞


おかしな記事もあるがとりあえず一番まともな気がするからである。




ローマ法王の記事で法王にどのような敬称をつけるかという記事が眼についた。



睨下、聖下、聖台…



睨下は仏教でも使うが聖下や聖台は初見。



論説委員福島敏雄氏の『岩波書店の「功」と「罪」』という論説も面白かった。



岩波書店の「奴隷的な逐語訳」は他の多くの翻訳、日本語の文体に与えた(悪しき?)影響は大きいとしつつ、小林秀雄の「地獄の季節」のようには今でも褪せない魅力を持った名訳を期待したいというのは全うな結論である。


久しぶりに小林秀雄が読みたくなった。



時よ、来い、ああ陶酔の時よ、来い。よくも忍んだ、覚えもしない。積もる怖れも苦しみも、空を目指して旅立った。厭な気持ちに咽喉は涸れ、血の管に暗い陰がさす。時よ、来い、ああ陶酔の時よ、来い。汚らわしい蠅共の むごたらしい羽音を招き、毒麦は香を焚きこめて、誰顧みぬ牧場が 花をひらいて膨れるように。時よ、来い、ああ陶酔の時よ、来い。





本日は西国巡礼をされている団体と3キロほどの道のりを同道する機会があった。



そのうち2キロは山道である。


秋とはいえ日差しも強く、一時間ほどの行程はなかなか骨が折れた。


お遍路さんは白い装束に杖、笠といういでたちである。


お遍路さんの菅笠には「同行二人」と以下のような偈文が書かれてあった。


迷故三界城
悟故十方空
本来無東西
何処有南北



この4句はどう訳せばよいのだろう。


この世は迷いの世界であり、迷いゆえにこの世が確固とした存在として在る。

悟りによってその迷いを断ち切り東西、南北もないという本来の姿を得る…というほどの意味だろうか。だいぶ意訳だが。



この句は本来、棺桶の蓋に書かれたものであったという。


昔は寝棺ではなく、座棺で、おそらく丸い蓋だったのだろう。


丸い菅笠を棺桶の蓋に見立てたのか。


お遍路の途中で亡くなった方は、道端に埋められ、この菅笠と杖が置かれることも多かった。


菅笠は棺桶の蓋代わり、杖は墓標代わりだったのだろう。



昔はお遍路さんを埋めた土饅頭があちこちにあったという。




この句は今でも葬儀の笠袋に書くことが多い。


由来を考えるなら笠袋ではなく、笠に書くのが本来の様式であったにちがいない。


棺桶に添える杖の袋にも地蔵菩薩梵字を書くが、
これも本来は杖そのものに書くのが本来のあり方であったに違いない。



葬儀の形式は年々簡略化されつつあり、本来の形式を失っているものもある。


何が大切かを見極めて次代に継承してゆきたいものである。



私達の人生は遍路路のようなものかもしれない。


迷いながら歩き歩き、いつか最後を迎える。


いつか迷いを超えることができるだろうか。



小林秀雄ならこの4句の文をどのように現代語訳するだろうか…とふと考えた。


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