危険なご馳走 当たる占い師になる方法
(調べてみるとこの商品が発売されたのは1971年(昭和46年)である。)
その時、子供心に驚いたことはお湯を注いで3分待つと完成するという斬新さ、そしてもうひとつ驚いたことはこのカップヌードルに海老が入っていたことだ。
海老といってもごく小さなフリーズドライの海老である、だが「すごい!」と感心したのである。
私が子供の頃は海老というのはかなりのご馳走だった記憶がある。
当時は高価な食材であった海老が入っていたことが強く印象に残っている。
今日では海老は日常的に食べられるようになった。
最近はホテルの食品偽装問題で海老のことが毎日のように報道されている。
だが、かってはご馳走だった海老がありふれた食品になったのは膨大な量の養殖海老が海外から輸入されているからである。
しかし、1度ネットで「エビ 養殖 危険 海外」などの検索語で調べて頂くと、海外におけるエビの養殖の実態についてかなりいろんな情報が得られる。
その内容はかなり深刻で、こういったサイトの記事を読んでから私は外食で出された海老を残すようになってしまった。
産地や品種の偽装よりもエビそのものの危険性についてこれを機に考えてみてはどうだろうかと私は思うのである。
何で読んだか忘れてしまったのだが、およそこういう内容のことを読んだことがある。
当たるとされる占い師が、手相を見た相手にまず言うことは
「あなたは損をしていますね」
というのだそうだ。
そう言われると、大抵に人は「この占い師は私のことを見抜いている!」と思うのだそうだ。
なかなか面白い…
つまり私達は誰もが自分は損をしているという感情を抱いて生きているということになる。
先日NHKで放映された「病の起源 第3集 うつ病〜防衛本能がもたらす宿命〜」でも恐怖などの深いな記憶は強く残り、それがうつの発症と大きく関わっているとされた。
人類の祖先が森に出かけ恐ろしい獣に出会って攻撃されたとすると、
この記憶を保存できたものはその森に近づかないという行動をとることができるが、
同じ体験をしてもそのことを忘れて同じ森に近づけば恐ろしい獣に食べられてしまうという結果になりかねない。
つまり不快な記憶を保持することは自身を防衛することにつながったというこおtである。
その反面…
仮に幸福と不幸が同量訪れた人生であっても、その人の記憶のなかでは不幸のほうが多いということにもなりかねないのである。
生理機能としての不快な記憶を保持するシステムとは別に
私達は積極的に自分の人生のなかに幸福を見出す必要があるのではないだろうか。
そうしないと本能としてのシステムによって人生を灰色に塗りつぶされてしまうかもしれないからである。
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