バトンリレー 念彼観音力
10日ほど前まで紅葉の気配も感じなかったのだが、
いつしか境内のもみじは紅葉へと向かいつつある。
本日は昼前から雨の為に参拝少なし。
長年お寺の護持に尽力して下さった方が亡くなり、悄然としている。
周囲には高齢の方が多く、毎年、何人もの古い知己や恩人を送らねばならないことは辛いことである。
死という必然の事実と、
それに逆らおうとする自分のはかない情を感じてもてあますことがある。
先月、子供の運動会を見学に行き、バトンリレーの様子を見ていたらその一生懸命さに胸が熱くなった。
おぼつかない足取りで走る子供達ははっきりした勝敗というより
ただただ一生懸命走っているだけのように見えた。
人生というのはこのバトンリレーのようなものかもしれないとその時に思った。
一生懸命走りに走り、次の誰かにバトンを手渡して退場する。
ただ与えられた時間を走るだけ…そんなことを考えた。
亡くなった方も子供さんやお孫さん達にしっかりとバトンを渡された、
私の手にもいろんなことを託されたと実感している。
私はどのくらい走ったのだろうか、残された時間はそう多くないはずだが、まだおぼつかない足取りで走り続けている。
- 作者: 松原泰道
- 出版社/メーカー: 祥伝社
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「観音経」というお経を読経することが多い。
このお経は観音菩薩の絶大なる功徳や救済の力を説いている。
一見、とてもエネルギーを感じるお経である。
私はこのお経をいつの間にかとても力を入れて読経するようになっていた。
お経の後半に「念彼観音力」(ねんぴかんのんりき)というフレーズが繰り返し現れるが、ちょうど車のアクセルを踏み込むように、その部分でいつも強く強く観音菩薩を念じていた。
最近になってむしろ力を抜くということのほうが大事なのではないかと言う気がして「念彼観音力」の部分では心身の力を抜くようになった。
もちろんどちらが良いかと一概には言えないが、
力を入れて頑張るという方向性はいろんな面でマイナスなのではないかという気がし始めたのである。
住職という職業は概ね周囲から大切にして頂くことが多いが、
知らず知らず自我が大きくなってしまっていることに気がついて冷や汗をかくことがある。
力を入れるというのは我を頼み、我から離れられない姿なのではいか…そんなこと感じる。あるいはこの肉体という有限なものへの執着そのものではないかと。
ドアを開ければまたドアがある、そのドアを開けて進めばまたドアがあり、そのドアの先にはまた違う風景がある…
どんな仕事でもそうなのだろうがひとつの仕事に精進することはやはり際限のないことだとしみじみ思うことがある。
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