黄葉の山寺 諷誦文 お大師様はいずこにおわす 


本日は今月最高の参拝者数であった。


明日から雨模様が続くとのことだが、土日に好天だったことはありがたい。


本日で11月の繁忙期も無事終了。
明日からは雨ということもあって再び静かな山寺に戻ることだろう。



今年は夏の暑さの影響か、全体的に黄色の勝った紅葉である。
黄葉といったほうがいかもしれない。


もみじは赤色が綺麗とか茶色は嫌だというのは人間の勝手な都合である。


青色、黄色、赤色、茶色…いずれもそれぞれのもみじにとっての必要や必然の結果であるからだ。


ご苦労様…冬枯れの近いもみじの木にそんな声をかけたくなることがある。





真言宗の葬儀では故人の冥福を祈るために諷誦文とよばれる文章を葬儀の為に作成し、読み上げる。


故人の略歴を披瀝し、遺徳を偲び、荘重でいて分かりやすく、そのなかに人生の無常なることを織り込まねばならない…なかなか容易ではない。


宗教関係の出版社のカタログを見ていたら、諷誦文について書かれた本の広告が掲載されていた。


私には平明で達意の諷誦文が例文として掲載されていたので、こんな素晴らしい諷誦文が沢山掲載された書物なら持っている価値があるとおもって、かなりの金額で購入したら…


例文の「素晴らしい諷誦文」が殆ど全ての内容で、それ以外の諷誦文は全てそのバリエーションであることが判明…(涙)




他人の真似で楽しようとしてはいけないというのが教訓であろうか。


やはり自分で無い知恵を絞るしかなさそうである。






法事に行くと、雰囲気によっては挨拶だけしてすぐに読経することもあるが、3分くらい話をしてから読経することが多い。


3分というと極僅かな時間のように思えるが、あまり肩の凝らない話で、仏事に沿った内容というのは案外難しいものである。


法事で檀家さんのお宅に伺うと掛け軸がかけてあることが多い。


軸について話の中で触れると、実物が眼の前にあるので話を聴いてもらえるように感じる。



弘法大師の御軸をかけておられるお宅が多いが弘法大師がどれほど偉大な祖師であっても、お大師様を真ん中にかけて、その脇に仏画の軸をかけるのはやはり間違いということになる。


この話題は在家の方には意外なようで、そこから 真言宗の仏壇では中央に大日如来、向かって左側に不動明王、右に弘法大師が祀られる…という説明をすることにしている。

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