住んでみたドイツ もみじ寺の終わり 観想法

 



本屋に行くたびに時々パラ読みしているのが「住んでみたドイツ8勝ち2敗で日本の勝ち」。


随分と売れている新書らしい。


書かれていることが全部が真実とは思っていないが、


日本人の生真面目さ、サービス、技術はやはり世界屈指のものだと自慢に思うべきだろうと改めて感じた。


それが空気のように当たり前なのでそのありがたさが分からない。


精確、厳格、真面目というイメージのあるドイツだが、
鉄道のダイヤやサービスが実に大雑把というのはちょっとびっくりである。


プルーフ・オブ・ヘヴン--脳神経外科医が見た死後の世界

プルーフ・オブ・ヘヴン--脳神経外科医が見た死後の世界


読んでみたいもう一冊はエベン・アレクザンダー「プルーフ・オブ・ヘブン 脳神経外科医が見た死後の世界」。


名門ハーバード・メディカルスクール脳神経外科医として最先端の医療に携わっていた著者が難病によって昏睡状態となり驚くべき臨死体験をする。


「天国の証明」とは分かりやすいタイトルである。


死後の世界を否定していた著者が数々の経験によってあの世を認識するというのは興味深い。



あの世はあると思いますよ(笑)





昨日で11月の繁忙期は終了。



今年は葬儀を含めて十数件の法務が重なったのでアッという間だった気がする。



大勢の方にお手伝い頂き大きな混乱もなく乗り切ることができた。


最期に来られた団体さんは広島から美山のかやぶきの里を訪ねられ、それから山寺へ。


もみじは大半が落葉しており、ガイドさんも心得たものでこちらには三重塔の見学がメインということになっていたらしい。


今年の紅葉は赤色の発色が少ない。もみじだけでなく周囲の山々を見ても、どこかシブい感じの紅葉である。


来年にはどんな紅葉になるのだろうか。





仏教にはいろんな観想法があるが、最近、自分なりの観想を思いついた。



娘や娘の友達の幼い子供達を見て思いついたものだ。


応対するのに苦慮するような相手に出会った時に、その人もまた幼い子供だった時期があり、純粋さを持ち、両親を始めとする大勢の人々に愛されていたのだ…と思うと相手へのわだかまりのようなものが随分と穏やかになる。


普通なら平静でいられないような相手に対して存外ニュートラルになれた気がしてなかなか良かった。


子育ての余得というところか。




仏教には様々な観想や観法がある。単なる自己暗示のように思って時期があったがどうも間違いだったような気がしている。


観想するとは現実から逃避することではなく、自分の観想する世界に自分の居る世界をつなげるような感覚が生じるからだ。


アクセスするという表現が案外近いかもしれない。



私達はこの世はこういうものだという様々な思い込みの中で生きているが、
それを一旦断じて、別の世界に意識をつなげる感覚ではないかと思う。


真剣に観想が為されれば必ず現実にも影響が反映される気がする。
ただ、その真剣さは多くの場合自分の思いや欲や願望であることが多い。

無心に観想するということは至難であると感じる。



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