踊るお坊さん 松浦亜弥は奇跡の香り
本日の産経紙を読んでいたら高野山のある若い僧侶の記事が目に付いた。
要約すると…
高野山真言宗の教学部に務める僧侶、滝山隆心氏(33)は学生時代にヒップホップなどの現代舞踏を、さらにその後前衛的なコンテンポラリーダンスを学ばれた。
高野山を訪れた滝山氏は修行による内面の練磨とダンスとの共通性に気がつき僧侶の道に進む。
高野山には独自の宗教舞踊があるが、滝山氏は高野山の宗教舞踏を学ばれる一方、コンテンポラリーダンスとの融合による創作ダンスにも挑戦しておられるという。
最近舞われた創作ダンスのタイトルは…
「人型反応性可動式瞑想体」
…一体どんなダンス(舞踏)なのでしょうか?
ダンスを通じて仏の世界を感じたいというのが滝山氏の願いであるという。
ダンスと瞑想は全く相反するもののように見えるが、
体を動かすことで意識が変成するという可能性は否めない
一遍の踊り念仏なども瞑想や念仏の方法であった可能性がある。
静かに舞うことは瞑想に近い心の状態になるというのはなんとなく理解できるだろう。
その一方でより動的な運動のなかで意識を変成される可能性もある。
- 作者: 三上敏視
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最近、神楽について調べているのだが、
神楽は人間が舞うのではなくおそらく神が人間に依ることでまわれたものであったらしい。
神楽は一見、神に舞踏を奉納しているようだが、おそらく根底には神自身が舞われるという意味が隠されているはずである
“舞う”は“回旋運動”と、“踊る”は“上下運動”と関係があるらしい。
誰でも体験できることだが、回旋運動を続けると、一種の酩酊したような感覚が生まれる。
夜を徹して行われるということも、おそらく人間と神の接点が生まれる時間が深夜なのだろう。
飲酒し,共食することもおそらく人間だけではなく神と人間が食べ物を通じて一体化する行為であったはずである。
とかなんとかいいながら…
私が一番ハマっているのはあややこと松浦亜弥氏の動画なのである。
彼女の動画を見ていると何か入神の感に打たれることすらある。
すごいぞあやや!
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