天気晴朗なれども波高し アジア歴史資料センターという偉業
- 作者: 戸高一成
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2012/10/01
- メディア: Kindle版
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先日、「海戦からみた日露戦争」を密林の古書にて購入。
著者は気鋭の海軍史研究家であり、現在は大和ミュージアムの館長をされている。
日本の連合艦隊とバルチック艦隊の戦いを膨大な史料を駆使しつつ詳細に解き明かしていて興味深い。
日露戦争において日本艦隊の主力とされたのは6隻の新造戦艦であったが、そのうち2隻「初瀬」「八島」はバルチック艦隊との決戦を目前にしてロシアの機雷によって沈没している。
舞鶴の街路には戦艦、巡洋艦の名称がつけられていて、「八島通り」「初瀬通り」の名称も慣れ親しんでいるものだが、両艦共に日本海海戦で華々しく戦ったと思い込んでいたので決戦前に沈没していたというのは初めて知った事実であった。
戦力の中核となる新造戦艦の3分の1を開戦前に失った痛手は大きかったと推測される。
「初瀬」の沈没は約490名の戦死者を出したが、「八島」は比較的ゆっくり沈んだため艦長の指揮の下、乗員全員が退避し、遂に1名の死傷者も出さなかったという。戦艦が沈没して死傷者が無かったというのは海戦史上稀有なこととされる。
韓国全羅南道の珍島沖合で旅客船「セウォル号」が沈没した事件はいよいよ大惨事の様相を呈しつつある。
大勢の若い生命が散華されたことに哀悼の念を捧げじにはいられない。整然たる指揮と事前の準備があれば多数の若い生命が失われずにすんだことを思うと人災の恐ろしさを感じずにはいられない。
5月27日未明、対馬海峡を哨戒していた信濃丸は多数の艦影を発見し、バルチック艦隊発見のを連合艦隊司令部に通報する。
司令部は大本営への電文の草案に対し参謀秋山真之は「本日天気晴朗なれども波高し」の1文を付け加えたとされる。
中学生か小学生高学年くらいだったと思うが、この「本日天気晴朗なれども波高し」という1文について読んだ記憶がある。
天気晴朗であれば視界が良好であることを指すが、同時に高波で照準が定めにくい。このことは長い航海を経て疲弊しているロシア側には不利であるが、一方我が軍は連度高く、この天候は自軍に有利であるという意図を込めて秋山参謀はこの一文を加えた…と書かれてあって子供心に感心したことを覚えている。
本書ではこの1文に全く別の意味を持たせている。
それが本書のキモの部分につながっているのである。
日露戦争では当時の最高機密であった新型機雷が使用される予定であった。
駆逐艦によって新型機雷を敷設するという奇襲攻撃に大きな成算が期待されていたが、当日の荒天によりこの作戦は未遂に終った。「波高し」とはこの新型機雷による奇襲攻撃が難しいことを暗に伝えたものであったという。
結果的には日本海海戦は世界の海戦史上稀にみる完全勝利であった。
当時最高機密となっていた新型機雷を隠蔽するためにも東郷ターンをはじめとする英雄譚によって半ば意図的にこの奇襲攻撃のことは隠蔽されたというのである。
この新型機雷がどのようなものであったかについては本書を読まれる方のために書かないでおくことにしよう。
確かに日本海海戦は日本側の圧倒的勝利であり、この事実は世界史に大きな影響を与えた。
アジア、アフリカの多くの民族や地域で欧米列強からの独立の気運を生むきっかけとなった。
一方で、この勝利は日本人に必ず勝てるという神話を与えてしまったようにも思う。
そのことは日本が無謀な戦争へと傾斜していくひとつの負の遺産となったようにも感じるのだが…
本書の成立に大きく寄与したのが「アジア歴史資料センター」というサイトの存在である。
国立公文書館をはじめとするオリジナル史料がインターネットで直接閲覧できるのである。
総数3000万ページ以上という莫大なオリジナル史料の閲覧が可能なのである。著者によれば「日本政府が行った最も素晴らしい文化事業のひとつ」であるという。
現在は「日露戦争特別展」なる企画も行われているので、関心のある方は御訪問いただきたい。
【アジア歴史資料センター】http://www.jacar.go.jp/index.html
アベノミクスにより景気上昇はようやく実感されつつあるが、日本領海への絶えざる侵犯やTPP交渉の難航、他国からのいわれ無き非難を始めてとして様々な外圧が絶えることが無い。
正に波高しの正念場であり、そのときに過去の歴史を紐解くこともまた必要なのではないだろうか。
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